「なんだか、しあわせだなあ」
ふと気づくとそう声に出していて、リビングでふたりの子どもと遊ぶ夫が優しいまなざしをこちらに向けて「ええ、なにそれ(笑)」とほんのり茶化す。
それを合図に子どもたちもこちらを見て「ママ、変なの」「ほんとにねえ」と夫の後に続く。
「ごめんごめん、なんだかこうして4人で“暮らせていること”がしあわせだなと思ったんだもん」
1年前までは想像もしていなかったマイホームという夢。それが叶って、今こうして家族4人で穏やかにのびやかな日常を描いている。
「着ていた上着は放り投げずクローゼットにしまってよ」
「夜ごはんいらないなら早めに教えてよ」
「自分で遊んだおもちゃは自分で⽚付けてよ」
遡ること1年前。口を開けば小言を言い出す、夫や子どもたちの目にはそう映っているだろうなと思うくらい、わたしはいつもプリプリとしている人だった。
毎日の暮らしが窮屈なわけではない。大切な人と結婚して、ふたりの子どもに恵まれて、特別な悩みも困りごともなく暮らしている。
だけれどどこか「これじゃない」感のようなものがわたしの心の中には生まれ、小さなくすぶりとして残り続けた。
─どうして子どもたちが着ていた上着をクローゼットに戻すのはいつもわたしなのだろう?
─どうして日々の買い物からごはんの準備までをするのはいつもわたしなのだろう?
─どうして散らかった家を片付けるのはいつもわたしなのだろう?
日々の「どうして?」がだんだんと募る。昔、母が「結婚にはね、時には妥協や受け入れることも必要なのよ」とぽつり呟いていたことを思い出す。
「結婚するって、家族になるって、どういうことなのだろう?」
そんな感情が脳裏に焼き付いて離れなかった。
「会社の先輩が家を買ったらしいんだ」
ある日、仕事帰りの夫が夕食を箸でつつきながら突然そんなことを言い出した。
「へえ、すごいね、羨ましいな……」
「家、欲しいなって思う?」
「うん、とても。マイホームってずっと憧れだったから……」
「僕たちも探してみよっか、家」
「えっ?」
「4⼈で暮らすとっておきの家、欲しくない?」
わたしたちの家探しの始まりはこんなにシンプルであっさりとしたものだった。子どもたちが小さなうちにマイホームを探したいなんて思いもあって、スムーズに家探しがスタートした。
なにより、夫が家族での暮らしを大切に思っていてくれたことがどことなく嬉しくて、二つ返事でマイホームの購入に賛成した。
それからは週末の度に住宅展示場を訪れ、インターネットや雑誌などで情報を集めた。クラクラするほど大量の住宅情報とにらめっこする中で、気になる住宅を見つけた。それが「セキュレア」の家事シェアハウスだった。
「“家事シェアハウス”っていうこの家が気になっていて」
「へえ、家族一人ひとりの専用クローゼットや、片付けやすい動線なんかがある家なんだ。いつも片付けや小さな家事を君に任せてばかりだもんね。こういう家なら“みんなで暮らしている”って強く思えそう」
「任せてばかり……って、そんな風に思っていてくれたんだ」
「うん。快適に過ごせるようにっていつも君が細やかなところまで気づいて片付けたり清潔にしてくれているなあっていつも思ってる」
「そういうことは気づいたときに言ってよ……!」
「ごめんごめん、なかなか伝えられなくて……いつもありがとうね。家事シェアハウス、とても良いね。週末に見に行ってみようよ」
そうして訪れたセキュレアの家事シェアハウス。現地を訪れたわたしは、すぐに「この家が良い!」と感じた。隣で家を眺める夫も穏やかな様子で、どこか楽しそうな様子に見える。
ふたりの子どもたちも「ここが僕の部屋!」「おっきい!」と思い思いに理想の暮らし像を想い描いていた。
わたしが気に入ったのは、なによりも家の動線が家族で暮らしをつくることに特化している点だった。
たとえば、玄関を入ってすぐにあるのは「自分専用カタヅケロッカー」。家族一人ひとりの専用ロッカーなので、靴やコートなどを収納できる。
縦にも長いロッカーなので、ロングコートやブーツなども収納に困らないのが嬉しい。
たとえば、洗面所を兼ね備えた「ファミリーユーティリティ」。手を洗うだけではなく、スーツを着替えたり、洗濯物をまとめたりできる、広めのスペースだ。
玄関から帰ってきてすぐに手を洗えるので、リビングに入る頃には清潔に。暮らし始めたばかりの頃は「気分が良いね」と感じていたくらいのものだけれど、こんな時代だからこそ家族で清潔感のある生活を送れるのは嬉しい、なんて改めて今感じていたり。
リビングに入る前に部屋着に着替えられるので、私たちの気分も仕事モードからおうちモードへと早変わりしそう。
リビングに入るとすぐに見えるのは「お便り紙蔵庫」。子どもたちが保育園や小学校でもらってきたプリントなどを収納したり、友人からの大切なお手紙なんかもすっぽりしまえたりする優れもの。
毎月の恒例だった「給食費のプリント、どこ!?」なんておっちょこちょいも解決できちゃう。
お便り紙蔵庫の横には家族で共有できる情報シェアボードも付いている。
トイレットペーパーが無くなりそうだとか、ご近所さんからいただいたお野菜を冷蔵庫に入れただとか、たとえ忙しくてなかなか顔を合わせられない日でもコミュニケーションが円滑に取れる工夫が施されている。
リビングには他にも「自分専用ボックス」もあって、おもちゃや本などのつい散らかしてしまうあれこれを収納できる空間がある。
家族が団らんできる場所にきちんと収納が付いているなんて、子どものいる家庭には嬉しいことこの上ない。
そして2階に上がると、寝室にはとっておきの設備「ビューティークローゼット」が。
大人でも3名くらいは入れてしまうほどの大きめのウォークインクローゼットで、鏡とフックが備え付け。前日の夜にゆっくりとコーディネートを決めておくなんて贅沢が叶ってしまう。
「機能性もすごく良いけれど、なにより広々していて帰るのが楽しみになる家だなあ」と夫がつぶやく。
「本当にそうだね。この家での暮らしはきっと楽しいだろうなあ」
「ね。この家に決めちゃおうか」
「いいの?わたしはとても嬉しいけれど……」
「もちろん。家族がしあわせに暮らせる家に住みたいし、この家はきっとそれを叶えてくれる。これからもっとしあわせな暮らしを作ろうね」
あれから1年ほどが経過した。「ただいま〜」の声と共に帰ってくる子どもたちは、いつものように自分専用カタヅケロッカーに荷物を入れて、ファミリーユーティリティで手を洗い、着替えを済ませてリビングにやってくる。
「おかえり。今日もロッカーに荷物しまってくれたの?」
「えへへ、もちろん。学校でもやってるからね、簡単簡単」
「そっかそっか、頼もしいな」
「あ、ママ。給食費のプリント、先生からもらったから紙蔵庫に入れておくね?」
「うん、ありがとう。今月も忘れないようにしなくちゃね」
「ママ、忘れんぼうさんだからボードにも書いておいてあげる!」
こんな会話も日常茶飯事。何気ないやりとりの数々に、どことなく家事も分担されているので、家事に追われてピリピリしていた過去のわたしともおさらばできた。
「なんだか、しあわせだなあ」
不意に出た声は作りものでも妄想でもなんでもなくて、心の底から生まれた本音。だって、家族で暮らしをつくることがこんなにしあわせだなんて想像もしていなかったから。
この家に出会えて、本当に良かった。
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