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母の旅立ち

2017.6.30

主任 野村 尚子

主任 野村 尚子

2017年3月11日、母が父の元に旅立った。享年93歳、大往生と言える年だが、親が二人ともいなくなってしまった喪失感は、言葉に表しようがない。
父が亡くなったのが4年前の2月11日、母が今年の3月11日。過去帳には同じ日に二人の戒名が記されている。仲の良い夫婦だったので、亡くなる日にちまで同じかと微笑ましく思うが、晩年、母が認知症を患ってからは気持ちにムラが出て、扱いに困っていた父の顔を思い出すと、あの世では若い頃のように仲睦まじく過ごしていてほしいと願うばかりである。

4年前、父が92歳で亡くなるまで、4歳下の母は、買い物、食事の支度、洗濯など家事はすべて一人でこなしていた。しかし、85歳を過ぎた頃から掃除をしなくなったので、年をとって億劫になったせいかとも思っていたが、あとでいろいろ調べると、これが認知症の始まりだった。ティッシュペーパー、石鹸、洗剤、ラップ、歯ブラシなどの日用品や、化粧水、乳液などが大量に買いだめされていたのも認知症の兆候だったのだが、気付かなかった。認知症になったら困るという思いが、自分の親にかぎって認知症になるはずがない、と思い込ませていたのかもしれない。
今思うと、もっと早く気付いてやればよかった、ああすればよかった、こうすればよかったと悔いの残ることが次から次へと思い出されるが、かといって、私の所に呼び寄せて看てやることができたかと言われれば、躊躇してしまった自分がいた。

亡くなる前の3か月ほどは、食事が摂れなくなり点滴だけになってしまったが、やせ細った腕に点滴の針は通らず、足や手の甲などに何度もやり直して点滴するようになり、見るのも痛々しい状態になった。歳を考えると、母が痛がるようなことはしないでほしいと思ったが、医者は「出来るだけのことはさせていただきます」と言って、針を刺す場所がなくなるまで点滴を続けた。やせ細った遺体に残るうっ血の痕をさすりながら「ごめんね、痛い思いをさせて」と母に詫びた。
延命措置はいらないと言い続けていた母の気持ちを思って、意識はあっても酸素マスクで言葉もままならない母の代わりに、もう痛いことはやめてほしいと言うのは酷いことなのか、延命とはどこまでをいうのか、娘としてどうしてやれば一番よかったのか、年老いた親の最期を看取るのはつらいものである。

今、私たちの部署は、年をとっても元気で人とつながり、「年をとることが楽しくなるような社会をつくる」ことを目指して仕事に取り組んでいるが、人は、今は元気でも将来どうなるかわからない。年を重ねれば重ねるほど、最期を迎える時の不安が大きくなる。その不安を少しでも取り除くことは出来ないものか。難しい問題ではあるが、それを常に考え続ける事が、私たちの重要な仕事のひとつではないかと考えている。

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