歌人、馬場あき子。三十一音にのせて、人間を歌う。
歌人、馬場あき子。三十一音にのせて、人間を歌う。
歌人 馬場あき子「不滅の韻律」

五・七・五・七・七、合計三十一音で、多様な感情を表現する日本の定型詩、短歌。
千三百年以上も前から今日まで、この国で短歌が生き続けている理由は、
各時代のすぐれた歌人たちが新しい可能性を見出し、魅力を更新してきたためである。
第二次大戦後の復興期から活躍する女流歌人、馬場あき子氏は、
九十歳を過ぎた現在も短歌の最前線で人間の生を見つめ、
同じ時代を生きる人々に短歌の楽しみを伝えている。

馬場あき子(ばばあきこ)

馬場あき子(ばばあきこ)

歌人。文芸評論家。1928(昭和3)年東京生まれ。日本女子専門学校(現・昭和女子大学)国文科卒業。1947年、窪田章一郎主宰の歌誌「まひる野」入会。同時期に能楽喜多流宗家に入門。1977年、歌集『桜花伝承』で第2回現代短歌女流賞を受賞。同年、29年間におよぶ教員生活を退き、歌誌『かりん』を創刊。歌作のほか評論、エッセイ、新作能などで活躍。1986年 『葡萄唐草』で迢空賞ほか受賞多数。1994年、紫綬褒章受章。日本藝術院会員。朝日新聞歌壇選者。

和歌は「やまとうた」ともいい、五七五七七の短歌のほか、
より長い長歌(ちょうか)、五七七を二回繰り返す旋頭歌(せどうか)などあるが、
『万葉集』の時代からもっとも多くつくられたのは短歌である。

 私たちはなぜ歌をつくるのか。それについては、平安時代の紀貫之が『古今和歌集』の序文で書いていることがすべてだと思います。「やまとうたは人の心を種として、万(よろず)の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり」。歌の“種”、もとになるものは、人間の心です。人間は何かを見たり、聞いたりして、いいなぁ、すばらしいなぁと思うと、歌をつくりたくなる。昔の人は歌をつくることで、人間の外にある、すばらしいものを自分の中に取り込もうとしたのです。
 そこは万葉集も平安時代も変わらない。けれど、紀貫之としては万葉の時代と同じ文体や方法でしか言えないのは面白くなかった。だから絵画の技法を取り入れたのです。歌から絵が想像できるように、言葉を使った。そこには中国から絵の方法が入ってきていたという時代背景があります。
 武士の時代になると、藤原定家のような公家が、武力では武士にかなわないものですから、芸術文化で対抗するために精神の美を磨き上げていきました。“余情(よせい)妖艶”“幽玄”という、微妙な美意識が生まれます。
 ずっと下って近代になれば、庶民的な日常性を取り入れたり、近代文学の発展とともに新しい短歌が生まれ、戦後にもいろいろと変化をしてきましたが、それでも五七五七七の三十一音という形式は残っている。そのことは大変意味があると思います。

  • 与謝野晶子記念館

    与謝野晶子の故郷、大阪府堺市の「さかい利晶の杜」にある与謝野晶子記念館。近代の有名歌人は、郷土の誇りとして愛されている。

  • 与謝野晶子記念館

    与謝野晶子の故郷、大阪府堺市の「さかい利晶の杜」にある与謝野晶子記念館。近代の有名歌人は、郷土の誇りとして愛されている。

日本文化の中心に短歌あり

 短歌は『古今和歌集』や『源氏物語』を経て、学問的に研究されるようになったが、文芸の枠に収まることなく、鎌倉時代以降、工芸や演劇、いけばなや茶など、広範な文化活動に影響を与え続けた。短歌から連歌、俳句も生まれている。
 比較的男女の区別なく親しまれ、女性の活躍が目立つ分野でもある。明治後期の与謝野晶子『みだれ髪』の、情熱的な表現が当時の人々に大きな驚きを与えたように、女性歌人の歌が新時代の到来を告げる働きをすることも少なくない。

1987年の俵万智氏『サラダ記念日』以来、日常的な話し言葉の短歌が一般的になり、
歌の題材も広くなった。歌壇では若い歌人の新感覚の歌が注目を集めやすいが、
馬場あき子氏は近年、定年退職後のシニア層の歌に注目しているという。

 今の短歌は、言葉は何を使ってもいいのです。そうなると、人は自分の好きな分野の専門用語を使いたくなるのね。たとえば、音楽家は音楽の用語が使いたい。お菓子の名前もたくさんある。その分野が好きな人には、それでも伝わる。新しい言葉の面白さもある。けれど、そういう歌は早くに消えていくのよ。普遍性がないから。
 普遍的なものは何かというと、それは人間です。人間を探求するという意味では、定年退職後の男性たちには、歌をつくろうとする前からすでに備わっているものがあるのね。生や死について考えた経験も、彼らには十分にある。この人たちがつくる歌は、歌らしく整わなくても、自分の実感や思想がこもっている。六十代の方が芥川賞を受賞したように、今その年代は面白いですよ。

  • 朝日カルチャーセンター新宿教室での講義。受講生には、旧満州の建国大学出身の男性も二人おられ元気に発言。ともに94歳。
    朝日カルチャーセンター新宿教室での講義。受講生には、旧満州の建国大学出身の男性も二人おられ元気に発言。ともに94歳。
  • 約40年にわたり講師をつとめた朝日カルチャーセンターの教室を、2018年4月でひと区切り。以降も、講演で東奔西走の日々を送る。
    約40年にわたり講師をつとめた朝日カルチャーセンターの教室を、2018年4月でひと区切り。以降も、講演で東奔西走の日々を送る。

能に造詣が深い馬場あき子氏は、短歌と能に「型」という共通点を見る。
決まった型から、その人は何を感じさせてくれるのか。
それを鑑賞することが、日本人の芸術鑑賞の一つのあり方なのだと見る。

  • 能楽公演で、演目の解説をする馬場あき子氏。はじめて能を見る人も歯切れのいい語り口に引き付けられる。
    能楽公演で、演目の解説をする馬場あき子氏。はじめて能を見る人も歯切れのいい語り口に引き付けられる。

 能を見る人は、決まった型から滲み出すその人独自の味わいを見るのです。その人の人間味とか、曲に対する見解とかが、型から滲み出してくる。だから、三十歳のときの舞と六十歳になってからの舞は違うのです。年の差ではなく、芸がどこまで深まったかを見るのです。その芸は「技」ではないのよ。技は年とともに衰えることもあります。年をとると体が動けなくなるものね。でも、動かないゆえに動きよりも面白いことがある。
 短歌でも、年をとると言葉があっさりしてきます。一首に入れる言葉も少なくなる。助詞と助動詞で人間の心を伝えられるようになるから。言葉をたくさん詰め込んでいる若者の鮮やかな面白さとはちがうのよ。若者の工夫する面白い表現のテクニックは、世阿弥の言葉でいえば「時の花」。本当の花ではないから、長持ちしない。三年も過ぎたら当たり前になってしまいます。型のある芸術は、型と葛藤しながら作者にとって大切な心や精神を出していくことを目指すわけです。

老いが否定的に語られやすい現代だが、
世阿弥の能楽書『風姿花伝』には、
「老いても本物の花は散らずに残る」とある。
馬場あき子氏の短歌との人生は、その花を求める長い旅でもあった。
(後編へ続く)

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歌人 馬場あき子<「不滅の韻律」編>