樹齢約四百年の大樹の一枝となる覚悟
樹齢約四百年の大樹の一枝となる覚悟。
VOL.1 OPENING ISSUE PART2 十五代酒井田柿右衛門「大樹の一枝」

佐賀の有田焼を代表する窯元のひとつ、酒井田柿右衛門。
江戸時代初期に創始された柿右衛門の優美な色絵磁器は、
17世紀後半から18世紀のヨーロッパで王族貴族に愛され、西洋の陶磁器にも大きな影響を与えた。
酒井田家に生まれ、柿右衛門の名を受け継ぐ者は、その技術と様式をさらに輝かせ、
次の世に引き継ぐ責任を負う。2014年に襲名した十五代酒井田柿右衛門氏は、
柿右衛門という美の系譜を大樹にたとえ、十五本目の枝になりきることを目指している。

佐賀の有田焼を代表する窯元のひとつ、酒井田柿右衛門。
江戸時代初期に創始された柿右衛門の優美な色絵磁器は、17世紀後半から18世紀のヨーロッパで王族貴族に愛され、西洋の陶磁器にも大きな影響を与えた。酒井田家に生まれ、柿右衛門の名を受け継ぐ者は、その技術と様式をさらに輝かせ、次の世に引き継ぐ責任を負う。2014年に襲名した十五代酒井田柿右衛門氏は、柿右衛門という美の系譜を大樹にたとえ、十五本目の枝になりきることを目指している。

歴代の柿右衛門ひとりひとりは、柿右衛門という木の幹から生える一本の枝。十五本目の枝としてやることが、幹に残ればそれでいいと思ったら、気持ちが楽になりました。

昭和から平成にかけ、カリスマ的なリーダーシップを発揮し、
人間国宝にもなった十四代酒井田柿右衛門氏は、2013年6月世を去る。
そして長男、酒井田浩さんは、翌年2月、十五代酒井田柿右衛門を襲名。
酒井田家の慣わしに従って、戸籍上の名も酒井田柿右衛門に改めた。

昭和から平成にかけ、カリスマ的なリーダーシップを発揮し、人間国宝にもなった十四代酒井田柿右衛門氏は、2013年6月世を去る。そして長男、酒井田浩さんは、翌年2月、十五代酒井田柿右衛門を襲名。酒井田家の慣わしに従って、戸籍上の名も酒井田柿右衛門に改めた。

 本名まで酒井田柿右衛門に変えてしまうのは、法律上の手間はありますが、いいことではないかと思います。気持ちの面で、全然違いますよ。この名前を引き継いだからには、いいやきものをつくらなければならない。そういう気持ちになることが多くなりました。子どもと食事に出かけて、ふと「今食べているものは酒井田柿右衛門という名前にふさわしいだろうか」と気になるくらい、いつも名前を背負っている感覚があります。
 名前を背負った以上はしっかりやりたいのですが、自分は自分のやり方でやるしかない。初代の柿右衛門は天才的な陶工だったと思いますが、自分はそんな天才タイプではありません。そうした思いは、父も同じだったようです。父の知り合いのお坊さんから聞いた話ですが、その方は父が十四代を襲名した際、「先代に負けないように、頑張らなくちゃいけませんね」と声をかけたそうです。すると父は「各代の当主は、柿右衛門という大きな幹から伸びている枝です。枝が伸び、葉が繁ることで、幹が太る。枝がもし折れても、幹が残れば無駄にならない。当主が頑張った結果として、幹が大きくなればそれでいいんです」と答えたといいます。
 父が亡くなったばかりの頃、この話を聞いたおかげで少し気楽になれました。これから15番目の枝がどうなるかどうかはわからない。でも、木を枯らさず、次の枝が出てくるのを見届けることさえできれば、自分なりのやり方で枝を伸ばしていい。そう思えるようになりました。

  • 柿右衛門窯の薪窯は、本焼き行う窯と素焼き窯の機能をあわせもつ特殊な構造。器を「ボシ」と呼ばれる容器におさめ、内部に積む。ガスも使用するが、昔ながらの濁手の作品をつくる場合には、赤松の薪を使わなければ、やわらかい白色にならない。
    柿右衛門窯の薪窯は、本焼き行う窯と素焼き窯の機能を
    あわせもつ特殊な構造。
    器を「ボシ」と呼ばれる容器におさめ、内部に積む。
    ガスも使用するが、昔ながらの濁手の作品をつくる場合には、
    赤松の薪を使わなければ、やわらかい白色にならない。
  • 窯を焚く職人は、炎にムラができないよう、一本一本の薪の置き方を考えながら投げ入れる。内部の温度を計測するための温度計も設置されているが、
  ベテランの職人は温度計は頻繁に確認しなくても、炎の色で温度をほぼ一定に保つことができる。
    窯を焚く職人は、炎にムラができないよう、
    一本一本の薪の置き方を考えながら投げ入れる。
    内部の温度を計測するための温度計も設置されているが、
    ベテランの職人は温度計は頻繁に確認しなくても、
    炎の色で温度をほぼ一定に保つことができる。
  • 窯の炎は吸い込む力が強いため、いったんすっと天井に上り、空気の流れで下に降りる。その繰り返しの中で器はやきものになっていくが、途中で横に炎が流れて器を曲げたり、傷をつけることもあり、製品になるのは焼いた分の5~6割のみという。
    窯の炎は吸い込む力が強いため、
    いったんすっと天井に上り、空気の流れで下に降りる。
    その繰り返しの中で器はやきものになっていくが、
    途中で横に炎が流れて器を曲げたり、傷をつけることもあり、
    製品になるのは焼いた分の5~6割のみという。
  • 昔の形のままの窯を使い、昔と同じく赤松の薪を燃やす。しかし、現在では良質な赤松を確保するのが非常に難しい。やきものの技術を守るには、絵の具や土の専門家たちだけでなく、林業家とも連携が必要なのだ。
    昔の形のままの窯を使い、昔と同じく赤松の薪を燃やす。
    しかし、現在では良質な赤松を確保するのが非常に難しい。
    やきものの技術を守るには、絵の具や土の専門家たちだけでなく、
    林業家とも連携が必要なのだ。

 伝統工芸の世界においては、襲名が行われると襲名披露の個展を開催されるのが慣わしである。
十五代として初の展覧会では、柿右衛門窯の代名詞である赤を使わない作品に注目が集まった。

 伝統工芸の世界においては、襲名が行われると襲名披露の個展を開催されるのが慣わしである。十五代として初の展覧会では、柿右衛門窯の代名詞である赤を使わない作品に注目が集まった。

 先代は襲名前に作家として活動していたので、作風がある程度は固まってからの襲名披露だったと思います。でも、自分にとって個展は初めてのこと。とにかく今つくっているものを見ていただくしかありませんでした。
 赤を使わない作品に大きな反響があり、メディアには「あえて赤を使わなかった」という書き方もされましたが、本当は結果として使っていないだけです。自分ではなるべく赤を使おうという意識があります。でも、頭よりも手が先に動いて、できたデザインのモチーフに赤がなかった。かといって、赤の文様で主役のモチーフが目立なくなるのは本末転倒ですから、赤を使うのをやめたのです。
 今の自分はいろいろと思いついたことをやってみて、試行錯誤を楽しむべき時期にいると思います。まずは幅を広げ、やってみる。そうして経験したことを、最終的には自分の作風としてひとつにまとめていくのでしょう。
 幅を広げるといっても、柿右衛門様式とはまったく違うことをやってみたいとは思いません。私は柿右衛門様式が大好きなんです。柿右衛門窯のやきものしか見ないで育っているので、体の中にしみこんでいるような感覚があります。もし柿右衛門以上のものをつくれといわれても、柿右衛門様式以上にやりたいものは見つからないと思います。
 自分がもっとも気に入っている柿右衛門様式というスタイルの中で、一番いいやきものをつくりたい。そんな感じのスタンスです。

  • 十五代酒井田柿右衛門作「濁手 団栗文 壺」。団栗の輪郭線は赤ではなく黒で描かれている。装飾的な文様を排除した大胆な余白により、ころころとした団栗の愛らしさが際立った。
    十五代酒井田柿右衛門作「濁手 団栗文 壺」。
    団栗の輪郭線は赤ではなく黒で描かれている。
    装飾的な文様を排除した大胆な余白により、
    ころころとした団栗の愛らしさが際立った。
  • 父十四代は繊細な曲線を好んだが、十五代は直線を取り入れて緩急をつけることを好む。また、先代よりも植物のパーツを大きく描き、葉の青や緑が新鮮な印象を与える。17世紀中期の作品群に見られるような、おおらかな線が十五代の理想だ。
    父十四代は繊細な曲線を好んだが、十五代は直線を取り入れて緩急をつけることを好む。また、先代よりも植物のパーツを大きく描き、葉の青や緑が新鮮な印象を与える。17世紀中期の作品群に見られるような、おおらかな線が十五代の理想だ。
日本の美しさは余白の美。心やすらぐ自然な美しさは世界のどの国の人が見ても美しい。

作品をつくるだけが当主の仕事ではない。次に伝えるためには、
より多くの人に手に取ってもらい、支持されることも必要だ。
十五代酒井田柿右衛門氏は、グローバル化の時代こそ
先人を見習って、積極的に異文化と交流するべきだと考えている。

作品をつくるだけが当主の仕事ではない。次に伝えるためには、より多くの人に手に取ってもらい、支持されることも必要だ。十五代酒井田柿右衛門氏は、グローバル化の時代こそ先人を見習って、積極的に異文化と交流するべきだと考えている。

 柿右衛門様式はオランダの東インド会社とやり取りする中でできあがった様式でもあり、外国の人にも親しみやすいのではないかと思います。世界の人に愛される要素は、おそらく色でしょう。清潔感のある白に、自然の一部を切り取ったような色絵。赤、青、黄の見え方といい、日本の感覚で気持ちいいというより、人間的に気持ちいい色のバランスが様式化されたように思います。
 白の見せ方はとても日本的でもあります。器の表面全体が文様で埋め尽くされている、中国の色絵のようにつくるのではなく、あえて白い部分を残す。柿右衛門様式の余白の美しさは、いかにも日本らしいとも思います。
 有田焼創業四百年ということもあり、原点回帰といいますか、世界との交流は意識しています。とくに各国の食文化に関わる方たちとは積極的に意見交換をしているところです。和食にもフランス料理にも多様な食文化が混ざり合う今の食卓に、柿右衛門様式の美しさを生かす。世界の人々と交流しながら、そんな提案をしていきたいと思います。

日本の陶工が世界に通じる美しさを追求した結果が、
もっとも日本らしい美しさに。
有田焼創業四百年記念をきっかけに、
十五代酒井田柿右衛門氏は余白の美を味わう日本文化を、
世界の食卓に広げようとしている。

(了)

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