命のために咲く桜はどんな花でも美しい
日本の型の文化は真の個性を輝かせる
能楽師 九世 観世銕之丞「能に秘めた思い」

江戸時代の武家の公式な芸能であり、日本の伝統的な芸能として、
ユネスコの世界無形文化遺産にも指定されている能。
江戸中期に立てられた観世銕之丞家は、第二次世界大戦後、
三島由紀夫をはじめとする異分野の才能と交流し、能楽界に
華やかな活気をもたらしたその時代、昭和の世阿弥と呼ばれた
伯父(観世寿夫)、父(八世観世銕之丞)に師事した九世観世銕之丞氏は、
現在の能楽界のリーダーの一人として、国内外の舞台で活躍している。

江戸時代の武家の公式な芸能であり、日本の伝統的な芸能として、ユネスコの世界無形文化遺産にも指定されている能。江戸中期に立てられた観世銕之丞家は、第二次世界大戦後、三島由紀夫をはじめとする異分野の才能と交流し、能楽界に華やかな活気をもたらしたその時代、昭和の世阿弥と呼ばれた伯父(観世寿夫)、父(八世観世銕之丞)に師事した九世観世銕之丞氏は、現在の能楽界のリーダーの一人として、国内外の舞台で活躍している。

一般人は接する機会の少ない、能楽師という職業。歌舞伎役者のように
俳優を兼ねることは少なく、舞台出演と弟子の指導が主な仕事である。
幼い頃から稽古を始めても、一人前になれるのは、ふつうは三十歳以上という。

一般人は接する機会の少ない、能楽師という職業。歌舞伎役者のように俳優を兼ねることは少なく、舞台出演と弟子の指導が主な仕事である。幼い頃から稽古を始めても、一人前になれるのは、ふつうは三十歳以上という。

 うちの場合、僕が十八歳頃、気づいたら同世代で稽古を続けているのは、僕だけになっていました。親に強制はされなくても、僕がやらなかったら家の人たちが困ることは、ひしひし感じていました。
 当時は嫌々ながら稽古をしていたので覚えが悪く、自分にがっかりするばかりでした。スターが揃っていた親の世代と比較されるのが辛かった。親を手伝うためとはいえ、ここに自分がいていいのか。家を出たら仕事はどうするか。二十代はそんな妄想ばかりしていました。
 日々悶々としながら、それでも、きちんと努力をしてみるべきではないかと思うようになっていきます。僕はまだ自分から土俵に上がっていなかった。このまま逃げるわけにはいかない、と。
 それから約三十年が過ぎた今は、古くからの家として正しさを保ちつつ、親たちから受け取ったものをもとに、自分なりにやっていけばいいのだろうと思っています。若いときよりは、進む方向が見えている、という感じでしょうか。

  • 稽古場でもある銕仙会能楽研修所の舞台で、アシライによる仕舞『天鼓』を舞う観世銕之丞氏。能の全体から主要部分を抽出し、能面や装束をつけずに行われるものを「仕舞(しまい)」といい、稽古時に楽器の代用として拍子盤を打つ演奏方法を「アシライ」と呼ぶ。素のままである分、稽古で磨かれた所作の美しさがよくわかる。
    稽古場でもある銕仙会能楽研修所の舞台で、アシライによる仕舞『天鼓』を舞う観世銕之丞氏。能の全体から主要部分を抽出し、能面や装束をつけずに行われるものを「仕舞(しまい)」といい、稽古時に楽器の代用として拍子盤を打つ演奏方法を「アシライ」と呼ぶ。素のままである分、稽古で磨かれた所作の美しさがよくわかる。
  • 足をゆっくりと滑らせるように運ぶ「すり足」は、長い距離を歩いていることを表す。同時に、時間の経過や、どんな思いで歩いてきたのか、見る人に想像させる表現でもある。
    足をゆっくりと滑らせるように運ぶ「すり足」は、長い距離を歩いていることを表す。同時に、時間の経過や、どんな思いで歩いてきたのか、見る人に想像させる表現でもある。

能の演目の「型」は江戸時代から大きく変わっていない。
観世銕之丞氏は能を演じ続けるうちに、定まった型はその人の個性を
隠すものではなく、むしろ明らかにするものであることに気づいた。

能の演目の「型」は江戸時代から大きく変わっていない。観世銕之丞氏は能を演じ続けるうちに、定まった型はその人の個性を隠すものではなく、むしろ明らかにするものであることに気づいた。

 江戸時代、能は武家の公式な芸事でしたから、殿様も能を嗜みました。人間関係が窮屈な武家社会でも、能を見れば「殿様は気難しいようで、素直な面もお持ちのお方だ」「実は几帳面なのか」と、ふだんは見えない個性に気づいたことでしょう。
 日本の感覚ではいきなり強い個性をぶつけられると、引いてしまうところがあります。そもそも、いきなり他人に押し付けるようなものが、はたして個性なのか。型の通りにやっても、人とは違って見える部分、型からはみ出してしまうものが、本質的な個性ではないかと思います。
 何かを限定することによって、相互理解を可能にするのは、日本が編み出したコミュニケーション・テクニックといえます。武将たちが茶道を好んだのも、茶室の限定された空間の中、限定された時間で、同じルールでお茶をいただくことで、お互いをよく理解できたためでしょう。教育やコミュニケーションに型を用いる方法が再評価されれば、日本の強みになるのではないか。そんな風に思います。

  • 銕仙会研修所(東京都港区青山)の舞台。能舞台に必ず描かれる松は、神の依代(よりしろ)である。しかし、役者が神を背にするのは失礼であるため、板を鏡に見立て、松は鏡にうつっているものとして描かれる。
    銕仙会研修所(東京都港区青山)の舞台。能舞台に必ず描かれる松は、神の依代(よりしろ)である。しかし、役者が神を背にするのは失礼であるため、板を鏡に見立て、松は鏡にうつっているものとして描かれる。
  • 透け感のある絽または紗を単衣に仕立てた「長絹(ちょうけん)」は、舞を舞う女性、平家の公達などの役に用いる。写真の秋草文様の長絹は、『源氏物語』を題材とする『野宮』など、秋にちなんだ演目にふさわしい。
    透け感のある絽または紗を単衣に仕立てた「長絹(ちょうけん)」は、舞を舞う女性、平家の公達などの役に用いる。写真の秋草文様の長絹は、『源氏物語』を題材とする『野宮』など、秋にちなんだ演目にふさわしい。
  • 能に用いられる衣装、能装束(しょうぞく)は、原初は質素なものだったが、武家社会との関わりが深まり、支援者である大名家から豪華な衣装が与えられるようになった。写真は、女性の役に用いられる「唐織」。華やかな模様を糸で織り出す手法は日本独特のもの。元禄時代に金糸を織り込む技術が発達した。
    能に用いられる衣装、能装束(しょうぞく)は、原初は質素なものだったが、武家社会との関わりが深まり、支援者である大名家から豪華な衣装が与えられるようになった。
    写真は、女性の役に用いられる「唐織」。華やかな模様を糸で織り出す手法は日本独特のもの。元禄時代に金糸を織り込む技術が発達した。

日本の演劇として世界に評価されている能だが、近年は観客層が高齢者に
偏りつつあり、ここままでは観客も舞台の担い手も減少することが予想される。
危機感を募らせる観世銕之丞氏は、若年層と能の接点を増やそうと試みている。

日本の演劇として世界に評価されている能だが、近年は観客層が高齢者に偏りつつあり、ここままでは観客も舞台の担い手も減少することが予想される。危機感を募らせる観世銕之丞氏は、若年層と能の接点を増やそうと試みている。

 かつての日本では、子どもは成長過程のとこかで、親や周りの大人が「とにかく見ておきなさい」と昔の文化に出会う場面をつくっていましたが、そういう教育がすたれてしまいました。小中学校の音楽の教科書で紹介されても、音楽の先生は西洋音楽の経験しかなく、飛ばされてしまいがちです。ところが、能をまったく知らない若い世代は、初めて能に接したとき「これは一体何だろう?」と、上の世代よりも新鮮に受け止めてくれる傾向が見られます。
 今の時代、わからないものや、ネットで検索しても答えが出ないものは、いらないものとして省かれてしまいます。けれども、人のこころは結局わからないものです。他の人にわかるはずがないのに、わかってほしいという思いがあって、人は苦しみます。能には、そんなわからないものの中にある、思いを見極める方法論があるように思います。日本人が六百年以上もの年月をかけて磨き上げてきたこの方法を、私たちの世代で絶やすわけにはいきません。

秘められた思いや
個性を可視化する能。
観世銕之丞氏は
舞台に生きる仲間たちとともに
日本のこころの技術を
次世代に伝えようとしている。

(了)

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TESSENKAI IN TOKYO PHOTO GALLERY 2
能楽師 九世 観世銕之丞「夢と現の境界」編を読む