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スタッフからの現地便り

薩摩スチューデント

  • 更新日:2016年06月16日
  • カテゴリ:歴史

 

 幕末に国禁を冒してまで学んで、日本の近代国家の礎を築いた
        「薩摩スチューデント」


   いちき串木野市「薩摩藩英国留学生記念館」
    
 
今回は、いちき串木野市の「薩摩藩英国留学生記念館」に赴きました。ここは薩摩藩留学生「薩摩スチューデント」が英国に旅立った場所です。

                

                当時は漁で栄えた羽島浦という漁村。


 その港に佇む赤レンガの建物は、
 当時の「薩摩スチューデント」の物語を彷彿させてくれます。

  


  建物に入ってすぐ右には洋風書斎のライブラリー。
  書棚には鹿児島に係わる歴史書が並んでいます。

 
              ライブラリーの対面はおしゃれな羽島カフェ。


 展示室は留学生と羽島、留学生の旅路、西欧見聞の日々、留学生その後の功績など留学生が辿ったテーマに分かれ展示されています。





1853年(嘉永6年)、鎖国を続けてきた日本は、
米海軍ペリー提督率いる黒船の来航によって開国を強いられます。
それから10年間、欧米列強の国々から不平等条約を押しつけられます。   
 一方、
 国内では外国を排斥しようとする、攘夷(じょうい)思想が高まります。 
 
そんな最中、悲劇が起こりました。
 1862年9月14日(文久2年)の 「生麦事件」です。


武蔵国生麦村(現横浜市鶴見区生麦)にて、
時の薩摩藩主:島津久光の大名行列の前を、
馬に乗ったまま横断した英国人4名らを
藩士が斬りつけ殺傷させた事件です。


         これに端を発し、1863年8月15日(文久3年)、
         薩摩藩とイギリス艦隊との間に「薩英戦争」が起こります。
         そして戦争で敗北した薩摩藩は、英国と講和を結びます。


  なんと、この時、
  薩摩は、英国側へ留学生の派遣を申し出たのです。


薩摩藩が、
 敵対し戦った相手から、学ぼうとする行動力には驚きです。
 おそらく、この戦争で薩摩藩は英国の先進性を認識し、
 未来のために英国に学ぶべきと実感したのでしょう。
 2年後の1865年、薩摩藩は幕府の禁制を破り19名の藩士を
 英国に密航留学させます。
 「薩摩スチューデント」の誕生です。




藩命を受けた19名の留学生は
『大島、甑島方面へ視察に行くように』という辞令書が交付されました。
これは幕府を欺くための偽りの命だったのです。
1865年2月(元治2年)城下の新納邸を出発し、
二日かけ羽島浦(現いちき串木野市羽島)に到着しました。
同年4月に、羽島浦の沖合に姿を見せた英国船オースタライエン号へ
乗り込み薩摩を後にしました。
 オースタライエン号は、
 長崎に居たトーマス・グラバーの持ち船だったようです。

 


4日後、香港に到着。  10日ほど滞在。
のちマドラス号でシンガポール、ペナン、ボンベイへ立寄り、
更にベナールス号に乗り換え、紅海からスエズ運河を進み地中海、
ジブラルタル海峡を越え、2か月後の5月にロンドンに到着しました。
  
19名の「薩摩スチューデント」のうち一人、大学の入学年齢に達していなかった長沢 鼎(ながさわかなめ)はスコットランドのトーマス・グラバーの実家に身を寄せ中学校へ入学し語学を学びました。
 うち4名の
新納 久脩(にいろひさのぶ)、寺島 宗則(てらしまむねのり)、五代 友厚(ごだいともあつ)、堀 孝之(ほりたかゆき)らは,
ヨーロッパ各地を回って国情の視察や工業機械の商談を行いました。

  そのほかの14名は
、ロンドン大学のユニバーシティカレッジの聴講生として歴史、科学、数学などを学びました。
 
 
 
 
英国は当時、産業革命を興し、
 世界に名だたる工業国として繁栄を極めていました。
 「薩摩スチューデント」たちは自身のテーマを決め勉強に励む者、
 近代化を図るための機械の商談を任された者、
 ヨーロッパ諸国の情勢など見聞し、
 多岐にわたり学び吸収したことでしょう。



「薩摩スチューデント」は、
畠山 義成(23歳)、高見 弥一(31歳)、村橋 久成(23歳)、
東郷 愛之進(23歳)、名越 時成(21歳)、松村 淳蔵(23歳)、
中村 博愛(22歳)、朝倉 盛明(23歳)、新納 久脩(33歳)
町田 申四郎(18歳)、鮫島 尚信(20歳)、寺島 宗則(33歳)、
吉田 清成(20歳)、町田 清蔵(14歳)、町田 久成(27歳)、
長沢 鼎(13歳)、森 有礼(18歳)、堀 孝之(21歳)、五代 友厚(30歳)、の19名。
羽島浦までは20名だったと云われています。(年齢は出港時)



・・・・・・・・・・・・・帰国後に活躍された方々の一部ご紹介・・・・・・・・・・・ 

   村橋 久成

 帰国して戊辰戦争に従軍したのち、
 1871年に北海道開拓事業で
 開拓使麦酒醸造所(現サッポロビール)を設立



   長沢 鼎
  13歳で英国留学した後、渡米。
 カリフォルニアの葡萄農園で成功したワイン王




   畠山 義成
  文部行政の担い手と云われ、
 開成学校(現東京大学)初代校長、
 書籍館(現国立国会図書館)初代館長などを歴任。



   五代 友厚
大阪で、株式取引所と商工会議所を設立。大阪の経済発展の礎を築く
NHK朝の連続テレビ小説“あさが来た”にも登場していました

        


       19名の「薩摩スチューデント」は、
       これから旅立つ未知の西洋世界に対する覚悟と、
       未来の日本の役に立つという志を持ち、
       命を懸けこの港を後にしたのでしょう。
       羽島の港から水平線を望むと、そんな思いがよぎりました。

     羽島港 
 
 
 せっかく、
 
いちき串木野市まで来たのだからと、味工房みそのへ移動。
 ご当地グルメ 「まぐろラーメン」を頂きました。
 鹿児島のラーメンと言えば、とんこつベースが多いのですが、
 あっさり透き通った醤油スープ。 
 トッピングのまぐろの漬けが
 スープの熱でほんのり色が変わり、中々いけます。
 わさびも途中から投入して、これもまた美味い。


    まぐろは、いちき串木野市の基幹産業でもあるんです。
 「まぐろラーメン」  おススメです。
 
薩摩藩英国留学生記念館
鹿児島県いちき串木野市羽島4930番地
TEL 0996−35−1865
 
味工房みその
鹿児島県いちき串木野市北浜町4
電話:0996-32-1780
 
妙見台より約88㎞(九州自動車道経由)
写真の撮影日 平成28年6月1日

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