気品を進化させながら、枯淡という美学に挑む。
  • 気品を進化させながら、枯淡という美学に挑む。
  • 日本舞踊家 尾上墨雪「進化する気品」

    日本の様々な芸能の要素を持つ歌舞伎から舞踊が独立し、発展してきた日本舞踊。
    近年は日本舞踊に親しみにくいイメージを持つ人が少なくないが、
    身体表現という意味では現在人気のダンスと変わるところはない。
    日本舞踊家として半世紀以上のキャリアを持つ尾上墨雪氏は、
    尾上流らしい品格を守りつつ、自身の年齢を活かす新たな身体表現を追求している。

    • 日本舞踊家を目指して新橋の芸妓から尾上流の内弟子に転じた尾上菊晴さんの稽古。
            動きをなめらかにするため、空気抵抗や重心を意識するように指導する。

      日本舞踊家を目指して新橋の芸妓から尾上流の内弟子に転じた
      尾上菊晴(きくはるか)さんの稽古。
      動きをなめらかにするため、空気抵抗や重心を意識するように指導する。

    • 横を見るときは目線だけでなく、鼻穴までそちら側を向くように指導する。
            鼻を意識すると顔の軸を美しく動かすことができる。

      横を見るときは目線だけでなく、鼻穴までそちら側を向くように指導する。
      鼻を意識すると顔の軸を美しく動かすことができる。

    • 日本舞踊の動きは静かだが、重心を一定になめらかに動くには体幹の筋肉が重要で、稽古を重ねると体幹が強くなる。

      日本舞踊の動きは静かだが、重心を一定になめらかに動くには
      体幹の筋肉が重要で、稽古を重ねると体幹が強くなる。

    尾上墨雪氏はクラシック音楽家との創作舞踊や海外での公演など、
    日本舞踊の分野では挑戦的な活動を率先して行ってきた。
    それは日本舞踊の本質を追究するための冒険でもあった。

    日本舞踊はねじりの動作が多いことがひとつの特徴です。そして足を高く上げません。そこが西洋の舞踊とは大きく違います。西洋は肉体の美そのものを神のように尊びますけれど、日本舞踊は着物を着ます。日本でも「舞踏」は上半身で裸のことがありますが、舞踏と日本舞踊は全然違います。舞踏はテーマ性が強く、天に向かって自分を解放するような動きをします。それに対して、日本舞踊の動きは流れるようになめらかです。そして、風格と気品を大切にしています。

    また、日本舞踊ですから、日本らしくないといけない。日本らしさとは人によっていろいろ意見があると思いますが、私はもののあわれを知る心とか、やさしさではないかと思います。日本は自然もやさしいですよね。その分、外来種との競争には弱いけれども、入ってきたものを受け入れて生き残ってきた面もあります。文化も同じです。拒否しないで、受け入れてしまう。それもある意味やさしさでしょう。

    • 日本舞踊の稽古は礼に始まり、礼に終わる。尾上墨雪氏は師匠から、「あれは師匠に礼をするのではなく、芸の神様に礼をするものだ」と教わったという。
      日本舞踊の稽古は礼に始まり、礼に終わる。尾上墨雪氏は師匠から、「あれは師匠に礼をするのではなく、芸の神様に礼をするものだ」と教わったという。
    • 日本舞踊では重心が少し低めに、安定していることが重要である。「安定する腰の位置を知るには、このように後ろ向きに小さく飛ぶとわかりやすいです」と尾上墨雪氏は言う。
      日本舞踊では重心が少し低めに、安定していることが重要である。「安定する腰の位置を知るには、このように後ろ向きに小さく飛ぶとわかりやすいです」と尾上墨雪氏は言う。
    • 舞台を足で踏み鳴らす「足拍子」は、古くは足踏みし邪気を祓う陰陽道の呪法「反閇」に由来するといわれ、能から歌舞伎、日本舞踊に入った。

      舞台を足で踏み鳴らす「足拍子」は、古くは足踏みし邪気を祓う陰陽道の呪法
      反閇(へんばい)」に由来するといわれ、能から歌舞伎、日本舞踊に入った。

    • 扇子は日本舞踊で最も重要な小道具である。開いて杯で酒を呑む、鏡を見る様子を、閉じて煙管を吸う、笛を吹く様子を演じるなど、様々な表現に用いられる。

      扇子は日本舞踊で最も重要な小道具である。開いて杯で酒を呑む、
      鏡を見る様子を、
      閉じて煙管を吸う、笛を吹く様子を演じるなど、
      様々な表現に用いられる。

    COLUMN

    日本舞踊の
    「舞い」「踊り」「振り」

    日本舞踊の動きには、大きく分けて「舞い」「踊り」「振り」の三要素がある。

    「舞い」とは回転運動であり、神事や呪術的な行為として神木や祭壇などの周囲を旋回したことが起源と考えられる。「踊り」は跳躍で、喜怒哀楽の感情を爆発させる表現でもある。「振り」は「〇〇の振り」というように何かの真似をすることを意味し、男女の日常動作の真似だけでなく、動物、鬼神、自然現象などの表現もある。

    現代の日本舞踊では振りの比重が大きく、演じ分けの巧みさが観客の興味を引き付ける要素ともなっている。

    私生活では一男一女に恵まれた尾上墨雪氏。ともに日本舞踊家であり、
    長女・(ゆかり)氏は女優としても活躍。家元を継承した長男・三代尾上菊之丞氏は
    歌舞伎「風の谷のナウシカ」での振付をはじめ、新しい試みを次々と成功させている。

    息子には家元を継いでくれるなら継いでほしいと思ってはいましたが、それより、「踊りで語り合えない親子関係はない」と思っていました。ぶつかってもいいから、日本舞踊の本質を語り合える親子でありたかった。途中から息子とはぶつかりっぱなしですが、それでいいのです。

    家元を譲るのを決めたときは、息子から間接的に「そろそろ次のステップに」というようなことを言われまして、「そうか……」と。気学の専門家に聞いたら「まだ二、三年早い」と言われましたが、私は「今彼に勢いがあるのだから、今しかないだろう」と思いました。

    菊之丞を譲った後の名前はどうしようか、いろいろ考えまして、「尾上」が山の頂であるところから、京都の東山の雪景色をイメージして「墨雪」としました。能楽の観世流には「雪」の号がありますが、それとは違うオリジナルの名前です。色を使わず墨で雪を描くというのは日本舞踊で私の目指すところに近く、まさに自分の名前と感じます。

    • 2022(令和4)年9月23日に行われた「初代国立劇場さよなら公演 舞踊名作集Ⅰ」より、「四季三葉草」。親子三人の息の合った舞台が観客を魅了した。写真提供:国立劇場
      2022(令和4)年9月23日に行われた「初代国立劇場さよなら公演 舞踊名作集Ⅰ」より、「四季三葉草」。親子三人の息の合った舞台が観客を魅了した。写真提供:国立劇場
    • 国立劇場は2023年10月をもって閉場し、2029年新たな建物で再開場の予定である。56年前、開場記念公演で同じ作品を舞った墨雪氏は深い感慨とともに今回の舞台に立った。写真提供:国立劇場
      国立劇場は2023年10月をもって閉場し、2029年新たな建物で再開場の予定である。56年前、開場記念公演で同じ作品を舞った墨雪氏は深い感慨とともに今回の舞台に立った。写真提供:国立劇場
    • 2022(令和4)年7月に行われた「尾上菊音 百寿を祝う会」のリハーサル風景。
            戦後の早い時期から初代菊之丞に師事した尾上菊音氏は、尾上墨雪氏にとって大先輩。舞台での共演も多い。

      2022(令和4)年7月に行われた「尾上菊音 百寿を祝う会」の
      リハーサル風景。
      戦後の早い時期から初代菊之丞に師事した尾上菊音氏は、
      尾上墨雪氏にとって大先輩。舞台での共演も多い。

    • 満百歳の尾上菊音氏の気品あふれる軽やかな舞に、尾上墨雪氏も大いに刺激を受けた。

      満百歳の尾上菊音氏の気品あふれる軽やかな舞に、
      尾上墨雪氏も大いに刺激を受けた。

    • 二人が演じた「此の君」は有名な演目だが、百歳で舞ったのはおそらく尾上菊音氏が初めてである。

      二人が演じた「此の君」は有名な演目だが、
      百歳で舞ったのはおそらく尾上菊音氏が初めてである。

    2023(令和5)年に満八十歳を迎える尾上墨雪氏。
    舞う姿はまだ若々しいが、表現者として「若いままで良いはずはない」と考える。

    八十歳といっても、自分が子どものときに思っていた八十歳とは全然違います。気分としては六十代前半くらいに感じます。年齢とは何でしょうね。ただただ不思議です。

    若いときは「枯れる美」というものに憧れたりしますけれど、ある先生から「枯れたらおしまいだ」と言われ、はっとしたことがあります。「生きているものは、枯れたらおしまい」。それは肝に銘じていますけれど、深みとか枯淡という味わいはある程度の年齢でないと出せません。私としては今後自分をそういうところに、自然にもっていきたい。年をとったら、とったなりの体の動き、筋肉の使い方というのがあると思うのです。ただ、プロとして踊るなら、余裕をもっていたい。筋肉をちゃんと使いたい。骨格もちゃんとしておきたい。

    実演芸は、生の人間をお見せするものです。生の人間が肉体を使って、生きる力とか、感情とか、あるいは平和とかを訴える。それを見た方が喜んでくださったり、感動してくださったり、涙を流してくだされば、こんなに嬉しいことはありません。社会貢献にもなります。そのためにこれからも努力していきたいですね。

    • 2022(令和4)年9月「尾上菊之丞の会」において、初代菊之丞が作舞した一中節の「猩々」を、三代目菊之丞氏の演出で舞う。気品あふれる素踊りに、尾上流らしさが凝縮されている。写真提供:尾上流事務所
      2022(令和4)年9月「尾上菊之丞の会」において、初代菊之丞が作舞した一中節の「猩々」を、三代目菊之丞氏の演出で舞う。気品あふれる素踊りに、尾上流らしさが凝縮されている。写真提供:尾上流事務所
    世阿弥は「風姿花伝」で、すぐれた能役者に老いても残る魅力を「まことの花」と呼んだ。価値観の多様な現代日本でまことの花とは一体どのようなものか。尾上墨雪は自身の身体をもってその花を探し続けている。
    世阿弥は「風姿花伝」で、すぐれた能役者に老いても残る魅力を「まことの花」と呼んだ。価値観の多様な現代日本でまことの花とは一体どのようなものか。尾上墨雪は自身の身体をもってその花を探し続けている。

    世阿弥は「風姿花伝」で、
    すぐれた能役者に老いても残る魅力を
    「まことの花」と呼んだ。
    価値観の多様な現代日本で
    まことの花とは一体どのようなものか。
    尾上墨雪は自身の身体をもって
    その花を探し続けている。

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