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スタッフからの現地便り

豊後武士その壱★方言編集 『姓祖誕生の伝説』

  • 更新日:2010年02月15日
  • カテゴリ:歴史
 
           豊後武士 その壱 ★ 姓祖誕生の伝説

  はじめに

 豊後武士をご紹介するにあたり、過去のお話なので写真がほとんど有りません。
 誠に申し訳ございませんが、イメージ画を挿入して、ご紹介させて頂きます。
 決して手抜きではありませんので、予め、ご了承くださいませ。 チリメンm(_ _)m

  豊後武士
■豊後武士とは、平安時代の中後期に豊後南部で活躍した武士37氏の総称です。
■これら37氏の武士は、すべて大神 惟基(おおが これもと)を姓祖としています。
■豊後武士の姓祖誕生には、神秘と熱愛の祖母岳(姥岳)伝説が残されています。
祖母岳は大分と宮崎の県境いにある神峰で、
  初代:神武天皇の祖母:豊玉姫がお祀りされています。
祖母岳伝説では、神峰に住む蛇神の子どもが、大神 惟基であると伝えています。

  では、祖母岳伝説を方言版に変換して、勝手な考察と解釈も編集したうえで、
             悪意の無いまま、ご紹介させて頂きます。
   (ご紹介する伝説の方言版では、九州山口の方言を採用しております)

    ↓        ↓        ↓       ↓       ↓

 
 
 超大昔、豊後清川の大太夫館には、たいそう美しい姫がおったそうなぁ~。
 姫は人気アイドルでしたが、姫パパは男衆を絶対に近づけさせません。
 ある夜、恋を夢見る姫がため息をついていると、一人の美青年が現れました。
 その青年の姿は、立鳥帽子に狩衣姿という京風貴族の最新ファッションです。
 こんな田舎では見られないいでたちは、絶対にお金持ちの高級貴族です。
 しかもイケメン。

 
 毎夜現れる誠実な青年に、姫は心を許し、
                         いつしか方言で語り合う仲となったそうです。
 しかし、楽しい会話でも青年は、青年自身については何も語らないのです。
 そして、青年は夜明け前になると、必ず消えてしまいます。

 姫は青年に、ホールイン・ラブ~準:通い婚OK~即・出来ちゃいました。
 青年はオメデタを喜んでくれるのですが、素性は頑なに語らないのです。

 姫が、「お義母様はご健在とね? 同居? 牛車は何台?」と、尋ねても、
 青年は「何ち関ち聞きなんな。よだきぃ(面倒臭い)のう」と、はぶて(拗ね)ます。
 姫が「領地ば、どがん位とっとうと(如何ほど取っていらっしゃるの)?」と聞いたら、
 青年は「せちぃ~。山ば持っとう。そいに貢物がようけ集まっとくさ」と、取り合いません。

 更に姫が、「貢物ちゃあ何ん? そいで生活出来っとね?」と聞き返しますと、
 青年は「じゃあ、じゃあ。じゃっとう、おいば頼りにすうし(人)が、ようけ持って来らすと」
 「だけんがら、なんくるなる。ジンな(お前は)心配すんでにゃあ。」と、ガラ(怒)ります。
  <考察1.=姫の気持ち:愛だけじゃ生活は出来ない。安定した暮らしがしたい・・・> 

 お腹が大きくなり業を煮やした姫は、糸付きの針を青年の狩衣に隠れて縫いつけました。
  <考察2.=糸を目印に、姫は青年の館を捜す算段のようです~恐いですね~>

 やはり青年は、夜が明ける前に居なくなりました。
 姫が糸を頼りに捜索をすると、祖母岳の中腹まで来てしまいました。
 そして糸は、大きな洞穴の中へ続いています。
 しかも洞穴からは、何やら苦しむ声が聞こえてきます。
 『へげ~ん、ここに、おらすと?』姫は、
                    青年会いたさに恐怖に打ち勝ち、決心して洞穴へ入ります。

 
 すると、洞穴の奥から、
     「誰いね? 来んな。入んな」と、制止する声が掛かります
 青年の声と確信した姫は、
     「お慕いばして参いったですいね。 入っても良かろうもん」と、聞きました。
 声は、「すとれ~(注:感嘆詞です)今ん姿ば見せとうなか。帰っちょくれ」と、
      つっけんどんです。
 姫は、「苦しか声ば出しよったけん、心配やわ。診ちゃっけん、入れちゃり」と、
      気を揉みます。
 声は、「夜しか人の姿になれんのえ~」
     「会わんとは憎くじじゃにゃあ(意地悪ではありません)」と、言います。
 尚も姫は、
     「ばってん、どがん姿でん驚きまっしぇん。」
     「むげねぇち(可哀想と)思うち~お願い」と、懇願しました。
 <考察3.=姫の本心:妊娠責任の直談判をしたいので、このままでは帰れない>

 姫の涙の訴えに観念した声の主は、ついに姿を見せることを認めました。

 声は「奥は暗かけん、一寸摺り(少しづつ進む事)で入りえ~」と、優しく声をかけます。
    <考察4.=男は女性の涙に弱い。
           ~か弱い女性も、いつしか逆転し強くなるんだけれども~>
 姫が目にしたのは、
              あの良かにせどんの青年でなく、針が頭に刺さって苦しむ大蛇でした。

 
 大蛇は「ほ~ら、どぎゃんね~バリがっぱ(大がっくり)した?]
      「早よ帰りんしゃい」と、なだめます。
  しかし、
 大蛇が青年であることを悟った姫は、大蛇の頭から針を抜いてあげました。
      <考察5.=姫の本心:仕返しされないように、物証の針を隠滅しておこう>
 
 針を抜いてくれたことに、大蛇の方がビックリして、
      「ありがとう。 そいぎんた、ほんなこつば言うばい」
      「ぞうたん(冗談)言わんけんな。 な~い。」
 大蛇は打ち明けました
      「オイドンな祖母岳大明神のんた~」
      「姫が美しゅうて好いとうたと~ごめん、ごめんね~」
 更に、こう言いました。
      「生まるっとは男ん子たい~そいが立派な武将になるっちゃん~」
      「おっがっほ(俺が、さ)約束するせん」
      「おい(俺)は、もう会えんとたい」
      「姫が一人で育てんばならんと。頑張らんば。~ちばりよ~」

 元気に生まれた男の子は、
      ワンパクでアカギレが絶えないので、アカギレ大将と呼ばれました。
      祖母岳周辺をウロンコロンさるき(あっちこっち遊び歩き)周り、
      やがて弓を取っては九州一の武将となります。
 この武将こそが、
 豊後武士37氏族の姓祖:大神 太大 惟基(おおが だいだ これもと)なのです。

 
勇猛果敢な豊後武士は、蛇神を祖神とする末裔として、とても恐れられていました。
姓祖:惟基の誕生伝説は、平家物語の八巻や源平盛衰記にも採用されています。
    ・・・・・・・姓祖誕生の祖母岳伝説・・・・・一旦、終わり・・・・・・・

      豊後武士の発展
■大神 惟基(おおが これもと)は実在すれば、
  平安時代中ごろ11世紀初頭に誕生したと、推測されています。
■彼には五人の男子が生まれ、それぞれ別姓で、
  高智保(高千穂)~のち三田井、阿南、稙田、大野、三重と名乗ります。
■そして孫らは、
  佐伯、臼杵、野津原、戸次、緒方、大津留、寒田、加来、佐賀、光吉、など名乗ります。
■氏族の名前のほとんどは、
  豊後南部の入部先(郡・郷・荘など)の地名などから採用されています。
■更に、本家から分家を繰り返した子孫らの氏族数は37氏に及び、
  総じて豊後武士と呼ばれました。
■豊後武士は、馬術と弓術に長けた勇猛果敢な武士団で、水軍も持っていました。
■姓祖:惟基の五代あとには、
  豊後武士の英雄:緒方 三郎 惟栄(これよし)が歴史上の大活躍をします。

   ~豊後武士の祖神を祀る神社が在ると云うので、訪ねてみました(~0~)/
◇国道10号線を南下し、県道502号線に入ります。
  豊後大野市役所を左手に過ぎても、まだまだ県道502号線を直進します。
◇神楽のモニュメントが目印~道の駅:きよかわ に到着~休憩! 
~ここ清川のどこかに、アイドル姫が居た太夫の館があったと推測されています~

   (高千穂に劣らず、豊後地方はお神楽が盛んです)
◇県道502号線沿いに在る緒方 惟栄の屋敷跡を通過して、竹田市に入ります。
◇国道57号線から、県道639号(神原~玉来)線に入ります。(目印は、サンリブ)
~JRの線路を渡り、県道8号線を右折して、ひたすら直進。
姥岳郵便局あたりで、県道693号に再度合流して~神原渓谷沿いを直進~ 

(神様の原の神原渓谷~清流の神原川) (神原渓谷に掛かる東九州道の架橋です)
◇豊後武士の祖神を祀る、穴森神社の看板を左折する
◇穴森神社の駐車場から、坂道を徒歩3分で登り、参道に到着。
~参道入り口の樹齢450年超の神木杉に来ると、奥に鳥居が見えます。

 (~境内参道は、杉の大木がいっぱい~暗くて一人では、少し怖いですよ~)
穴森神社の本堂です。

(参道にも電灯が引かれていますので、夜の参拝客がいるのでしょう)

~本堂の裏手を下った右下に、
 豊後武士の祖神の祖母岳大明神が、お住まいされている洞穴が在りました。

こちらが、祖母岳大明神のお住まいです。アポイント無しなので、声はお掛けしませんでした)
(洞穴は、とても深そう~2月訪問なので、蛇神様は冬眠中と判断し、訪問を辞退致しました)
(神社のお名前は『に在る』→穴森ですが、元は穴守かも知れませんね)
(地元の皆さんは、祖神を守る穴森神社を大切にされていると、実感しました)
 
                   
                   
  チリメン脱線~時代背景              
○奈良時代から公地公民の律令制で、
  朝廷は全国の国府に国司などを赴任させ地方行政を委譲していました。
○平安時代に入ると律令制が弱体し、
  国府の行政下にあった在地豪族や寺社による私有の荘園が増えてきます。
○荘園領主は保全のため国府の下部行政の官職を貰ったり、
  中央権力者に下り知行を委ねたりします。
 
○国司のなかでは、赴任先で荘園領主に成る猛者さえ出始めました。
○全国で複雑な領地紛争が多発します。
○こうなると三重行政で、
  荘園領主は私領拡大や警護のため、土豪や有力農民などの武門人を召抱えます。
○そして、これらの武門人が、やがて勢力を持って武士へと発展していきます。      
                   
○京の周辺でも、武門人から武士へと発展した武家が発生します。        
○中級・下級貴族や没落した官人などの末裔が、
  時の権力者に下臣して武門人になることが増えました。
 
○なかでも朝廷に下臣した貴族系武門人で代表的な名門武家が、
  清和源氏や伊勢平家、藤原北家などです。
○元貴族や元名門でも、武士は戦をする汚れ者として、
  扱われる身分は不当に低いものでした。
 
○腐敗政治の打開と国力増強、武士の身分向上にむけて、
  平 清盛が立ち上がったのですが、・・・・・
 
  いかんせん、平家一辺倒の驕りが災いしました。
  良いブレーンも居なかったし、育てなかったのが敗因でしょうか・・・・・
                   
  話を豊後に戻しますと                
■何故、平安時代の中ごろに突然、
  豊後武士の姓祖:大神(おおが)氏が、蛇神の子として誕生したのでしょうか?
 
■祖神が蛇神という伝説は、大和国の三輪山(みわやま)の大神神社に、
  三輪のとして、祖母岳伝説より、遥か太古の昔から伝承されています。
  三輪山の伝説と祖母岳の伝説のストーリーは、その内容がほとんど一緒です。
                    (方言の表現方法が、関西弁に代わるだけです)
     
  大神神社の神官末裔らは、
  三輪氏・大三輪氏、そして大神(おおみわ)氏などに分かれ、各地に広がりました。
 
■次回、豊後武士その弐★では、
  大和 大神(おおみわ)氏が、豊後 大神(おおが)氏に変わる、
  豊後大神氏のルーツ捜しの旅に、嫌でも、突入予定です。
     
                   
                  文責/挿絵 :チリメン「間違ってたら、ゴメンナサイ」
                  撮影日(平成22年2月2日)

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