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第7回ダイワハウスコンペティション

ダイワハウスコンペティション告知ページ


第7回 ダイワハウスコンペティション 後援:株式会社新建築社

■結果発表
去る、11月9日、第7回ダイワハウスコンペティションの審査会が大和ハウス工業東京支社にて行われ
「3.11以降、私たちに何ができるのか」をテーマに、 登録数137件、応募作品44点の中から最優秀賞1点と優秀賞2点が決定しました。
■最優秀賞
 
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【サマリー】 山本 至(伊東建築塾NPOこれからの建築を考える)

今回の東北大地震は、皮肉にも私たちが都市を考える一つにきっかけとなった。しかし考えるきっかけはあるものの、何を考えてよいかがわからない。
考えることが多すぎるからだ。そんな無数に散らばる思考の種を結びつけ、一つのものとして新たな思考を揺り動かす道具として「ユートピア」というもの、
そしてそれを補佐する役目として「インフラストラクチャー」というものについて考えてみる。
人々は様々なものを抱え込みすぎた「ユートピア」を胡散臭いものであると捉え、そこに可能性を見いだすことをやめてしまった。
しかし「ユートピア」とは、それを貪欲に実現しようとさえ思わなければ、建築家が自らの思想を伝達するための最も有効な手段であると考える。
建築を単体で作ったときに、その背後には必ず作家の思想が宿る。そういった柔らかい物を「ユートピア」という名詞を借りて捉え直すのである。
 
■優秀賞
 
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【サマリー】 梅木知(フリー)

たとえば昭和三陸地震の集団移動においては、学校や産業関連の共同のファシリティを組み込んだ計画移動が功を奏した例がある。
災害時には積極的に移動を選択するというパラダイムシフトが求められている昨今だからこそ、「移動」は「滞留」と同時並行して検討されなければならない。
そう考えると、都市には急激な人口流動を受け入れるだけの物理的、産業的「余力」が必要である。火急の事態に都市が相互補完しあえる部分をもつことは、
いわば都市レベルにおけるシェアの提案であり、それがソーシャルネットワークの如き展示構造をもつことによって「備えつつ開かれた場」を形成することができる。
災害時に限って効果を発揮するものではなく、むしろその副産物としてパブリックスペースを分娩する在り方が、
「ポスト防災都市」像として計画者が提案できるひとつの可能性なのではいないか。
 
 
 
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【サマリー】 香月真大(早稲田大学大学院建築学科石山修武研究室)

地元の阿佐ヶ谷ルーテル教会から巡回型の東北大地震被災展を行うことを企画した。
この展覧会は以前から行っていた広島・長崎原爆資料巡回展を発展させる形で行うことにした。
要約すると人災である原爆と自然災害である東北大地震を対比させることによって
過去と現代における日本の大災害を考える為の巡回展になればと思い企画したものである。
展覧会を通して人々がいま一度災害に対して再認識し、二度とこのような被害をもたらさないための手段なればと思い、
「東北大地震展〜広島・長崎原爆資料巡回展を通して」を企画した。
 
審査講評
審査委員からのコメント

山本理顕 あまりにも真正面のテーマなので、応募する側にもそれなりの覚悟が必要だったと思います。本当に一生懸命考えてくれたと思います。
その中で、被災地を前にして私たちは言葉を失う、その言葉を失うことからしかわれわれは再起できないのではないか、そして次に語られるのはユートピアである、
という山本さんの論文は今という状況に対して十分な説得力があるように思いました。
どのようなささやかな提案も、そしてそれが未来に対して可能性のある提案であればあるほど、
いかにもそれがユートピアを提案しているかのように受け止められてしまうだろうと思います。
それでも私たちはそのように語るしかほかに方法がない、というのは確かに実感なのだと思います。

藤森照信 日頃考えていないことを問うと、その答えを見つけることがいかに難しいかを感じました。
そこから今回の震災が、私たちにとっていかにあり得ない状況を引き起こしたのかを思い知った気がしています。
まじめに書けば書くほど、何かリアリティからかけ離れていくような印象……になってしまう。
状況報告が聞きたいわけではないのだけど、想いの強さゆえに、それに終始しているものが多かったです。
その中で、僕は梅木さんの「都市の余力に向けて」はよくまとまっていたように思います。ただ、参考文献が多すぎる。
もっと自分の意見で書いてほしいと思います。山本さんの論文は、「ユートピアとは思想である」という一文にしびれました。

松山巖 言葉を書くのは本当に難しいものですね。
今の考え方を抽象的にひっくり返そうとする意識は分かるのですが、一生懸命みんなのことを考えて何か実現したいのに、
しようとするとファシストにならざるを得ない思考のズレを感じました。僕は、香月さんの写真展をテーマにした論文を評価しました。
これがいちばん身近にできることをやろうとしていて、共感することができたからです。ただひとつ不満なのは、それを建築でやってほしかった点です。
被災地の人が今どんな生活に直面して、リアリティをもって建築でどんな解決ができるのか……。

千葉学 僕はこういう発言の場があれば、もっとみんな積極的に発言するだろうと期待していたのですが、結果的にはそうでもなくて、それが少し残念でした。
それに、これだけ衝撃的な事態が現実に目の前で起きると、想像力すら萎縮してしまうのかと、応募された論文を読んで感じました。
ただ正論だけをぶつけられても辛いし、何か未来に向かって、建築も都市も、建築家も変わっていけるような提案を期待していたのですが。
その中では、梅木さんの「都市の余力に向けて」に共感しました。都市空間をどうマネジメントするかは今後重要度を増す視点で、
ハードだけで防災を考えてきた都市への批評にもなっている。山本さんの論文は、インフラの捉え方は、従来の概念とそう変わらないように思うのですが、
あえてユートピアという言葉を用いて具体的に都市を構想していくことの価値を訴えている点は、とても新鮮でした。

松山巖 山本さんの論文は、これに時間系列が入ってくると面白い。街は変化して動的なもののはずなのに、どこか静的、止まってしまっている気がするんです。
動的な変化が起きてくることをもう少し説明してくれないと、生き生きとして見えてきません。

西村達志 梅木さんの「都市の余力に向けて」についてと、山本さんの「都市の終わりから思想の始まりへ」は提案の内容と文章のまとまりがありました。
特に山本さんの論文は、自分たちが建築家として何ができるのか、地域に密着した再生を、苦しみ抜いたうえで発言されているのに共感しました。

応募いただいた皆様には、今回は難しいテーマに取り組んでいただけたことに感謝しています。ありがとうございました。
(2011年11月9日、大和ハウス工業東京支社にて、文責:本誌編集部)

 

審査会風景。右から藤森氏、山本氏、松山氏、千葉氏、西村。

 

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