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Sustainable Journeyは、
2024年3月にリニューアルしました。
連載:未来の旅人
2024.03.29
2月下旬、広大な園庭は一面の雪化粧に包まれていました。ふかふかの雪を前に、全力ではしゃぐ園児たち。ソリに乗ったり、雪の上を転げ回ったり、大声を上げながら駆け回っています。
北海道は函館市から車で約1時間半、じゃがいものメークインの発祥の地である厚沢部町にある認定こども園「はぜる」。人口4000人にも満たない小さな町の認定こども園から始まった"ある取り組み"に注目が集まっています。それが「保育園留学」です。
「保育園留学」とは文字通り、町外、県外から園児を受け入れる事業のこと。単位は1〜2週間で家族が滞在する家も準備されており、自然豊かな環境で子どもを通わせることができます。
「最高の環境でしょ?僕が毎日通いたいくらいです」。そう笑顔で語るのは「保育園留学」の仕掛け人、キッチハイクの山本雅也さんです。
山本さんが手がける「保育園留学」は、2022年4月に正式スタートしました。提携している保育園は厚沢部町を皮切りに、わずか2年で全国39カ所にまで拡大(2024年2月時点)、累計500組以上、大人子ども合わせて2000人がこの制度を利用しています。スタート以降申込みが殺到し、ピーク時には2500組もの家族が"留学待ち"待ちだったそうです。
これまでも、旅行会社や宿泊施設が託児所付きワーケーションプランを提供しているケースはありますが、山本さんたちは「保育園留学はワーケーションではありません。子どもが主役の"留学"です。親はあくまで付き添いなんですよ」と説明します。
「自然豊かな環境で子どもを育てたい」。都市部で子育てする親なら、一度は考えたことがあるかもしれません。そんな思いを叶えてくれる保育園留学――。北海道には縁もゆかりもなかった山本さんが、なぜ厚沢部町で保育園留学を立ち上げたのか。始まりは12年前に遡ります。
2012年、山本さんは新卒から5年勤めた広告代理店を退職、海外放浪の旅に出ました。目的はひとつ、「"食"で人はつながるか?」を立証することでした。
450日間にわたって、延べ47カ国で"キッチン"を"ヒッチハイク"するように、一般家庭の食卓を訪れ、さまざまな食文化に触れました。感じたのは「自分の日常が、相手の非日常になる」ということ。「世界遺産でもなければ、ガイドブックに載っているわけでもない。日々の何気ない食事が、外の人からすれば『とてつもない魅力を感じる』と気づきました」。
"食事を作った人"と"食べてみたい人"をマッチングさせよう。「食のairbnbのようなマッチングサービス」であるキッチハイクを、2013年にスタートさせました。
サービスは順調に成長し、ユーザー数が7万人を超えた2020年、コロナ禍が襲いました。ソーシャルディスタンスや3密回避などの規制によって、一緒に食事をしてコミュニケーションをとるというキッチハイク事業の根幹が揺らぎ始めたのです。
「僕たちもですが、コロナ禍で困っていた地域や生産者の方々がたくさんいました。こういう状況下こそ誰かの困りごとに寄り添おうと、全国各地の食材を取り寄せて、自治体や生産者の方々とオンラインで交流しながら料理と文化を楽しむ『ふるさと食体験』という事業を始めたんです」。
その一環で、2021年1月に厚沢部町と一緒にイベントを開催。何気なく厚沢部町の保育園を調べていたところ、「はぜる」の園庭の写真が目にとまりました。「一目惚れでしたね(笑)。はぜるの環境が素晴らしくて、『ここに娘を預けたい!』と思いました」。
当時、山本さんは横浜市で妻と娘と暮らしていました。交通量が多い都市部に住み、園庭がない保育園に通う娘の様子を見て、「これが本当に娘にとって幸せなのだろうか」と、罪悪感にも似た疑問を抱くようになっていました。そんな中、娘が軽い喘息を発症。「はぜる」との出会いは、都市部で子育てすることへの違和感が大きくなっていった矢先のことでした。
「はぜると出会ってからは早かったですね」。園と厚沢部町の一時預かり制度を活用し、道外からの一時預かりとして申し込み、2021年7月には、保育園留学の第0号家族として3週間滞在したのです。厚沢部町の町役場の人たちと交わっていくうちに、保育園留学の大きな構想が固まっていったといいます。
「最高の環境なのに、過疎化が進んでいることもあって、はぜるは定員割れの状況なんです。一方で、都心部では園庭もない保育園に仕方なく通わせたり、待機児童がいる状況。ここに双方の課題解決がある、と思いました」。
厚沢部町の行政と連携しながら、2021年10月にクラウドファンディングを実施し、「保育園留学」の事業立ち上げに奔走します。11月のβ版リリース後は、1カ月で60家族以上から申し込みがありました。
「事業を進めていくと意外な反応があって。例えば『小学校受験をやめて、移住しようと思う』と話す親御さんがいたんです。どちらが良い悪いの話ではなく、その方の中で、保育園留学を機会に大きな価値観の変化が起こったんだな、と感じました」。
一方、地域にも変化が生まれ始めたそうです。「経済的な影響はもちろんありますけど、一番はシビックプライド(地域への誇りと愛着の気持ち)ではないでしょうか。自分の町に都市部の人が移住したくなるような魅力があるんだって気づくと、地域の人たちも希望を持って元気になっていく気がするんです」。
キッチハイクが厚沢部町と「保育園留学」を核とした関係人口拡大と経済効果を図る連携協定を締結したときの写真。「はぜる」の先生方、町役場担当者の木口さんと。
2021年のサービス開始から3年。今では厚沢部町を皮切りに全国に拡大、提携保育園は39カ所にまで広がっています。山本さん自身は、2024年には内閣府SDGs自治体支援事業アドバイザーに就任しました。
しかし、地方創生は一筋縄でいきません。その中で考えているのは「一番深い課題は何かということ。課題を見つけて、一個ずつ潰していくのも大切ですが、それだと局所解にすぎません。洋服のコーディネートだって、一つひとつはよくても、トータルで見たときに『あれ?なんかおかしい』みたいなことってありますよね。だから一番深いところを考えないといけない」。
複数の課題を一手に解決するのは容易なことではありません。「いろんな円が重なった一番深いところを解決しようとすると、今度は解決できる範囲が狭くなってしまう。それでは限られた人たちの自己満足に陥ってしまうので、このバランスが難しい」。
これまで手がけてきた、元祖キッチハイクやふるさと食体験、そして保育園留学。山本さんによれば、先述した「誰かにとっての日常」と「他の誰かにとっての非日常」をつなぐ点が、通底しているといいます。「その人にとっては日常で、価値がないと思えることも、誰かにはものすごく価値だということってありますよね。僕たちは、その"価値の非対称性"を価値にしているんです」。それらを「新しい"ふつう"にしていきたい」と山本さんは話します。新しい日常の創出を目指し、今年3月には、地域・自治体のパートナーとして、こどもと地域の未来を創造する事業スタジオ「こどもと地域の未来総研」を立ち上げました。
保育園留学は持続性のある地方創生の可能性を秘めています。山本さんは、保育園留学の未来について「この事業の意味や意義があったかどうかっていうのがわかるのは、きっと30年後だと思うんです」と恬淡と語ります。
「保育園留学をした子どもたちが、どんな価値観を持った大人になるか楽しみなんです。創造性も違うだろうし、都市部と地域の捉え方も違ってくる。もちろん、幼少期からの英語やプログラミングなどのスキルも大切だけど、まずは好奇心や勇気の種を植えることが必要だと思います。30年後、きっと弾力的な、厚みのある大人になるんじゃないかな」。
山本さんが厚沢部町に蒔いた小さな種は、子育てや地方の風景の"ふつう"を変えるかもしれません。
株式会社キッチハイク代表取締役。
大学卒業後、博報堂DYメディアパートナーズに入社。2012年にキッチハイクを創業する。認定こども園「はぜる」と北海道檜山郡厚沢部町に感銘を受け、2021年7月に厚沢部町へ第0号家族として保育園留学をする。同年11月に「保育園留学」をリリース。2022年5月に厚沢部町へ家族で移住。2024年3月に「こどもと地域の未来総研」を立ち上げる。内閣府SDGs自治体支援事業アドバイザー2024就任。
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2024年3月にリニューアルしました。