ダイワハウスコンペティション告知ページ
今回はバラエティ豊かな提案が集まり、最優秀はまったく予想できませんでした。その中でも「chimney Condo」のようなチャレンジングな提案があったのは、コンペの審査として議論に広がりが生まれてよかったと思います。このようなチャレンジングな案がどんどん出てくればよいと思います。アイデアコンペは私たちが挑戦する実施コンペとは違い、どんなふうに未来に対してゴールを掲げるか、構想の幅を広げていくかを考える場所であり、トレーニングの機会だと思います。自分にとっても実りや学びのある審査会となりました。「大地の息づかい ─さあ、ニュータウンへ帰ろう─」と「chimney Condo」に議論が集中してしまったのは、心残りでした。
何のしがらみもなく等身大での審査ができて、自分自身いろいろと収穫のある審査会となりました。こういうコンペはこれからも是非何かしらかのかたちで関わっていきたいと思います。現在の世の中の潮流として、住宅は高気密・高断熱が叫ばれ、自分の敷地内、家の内部だけを快適にしていこうという自己完結的なムーブメントが広がっています。今日の提案を見て、若い人がそうした潮流に窒息感を感じており、「呼吸する」ことの実現をポジティブに考えてくれたことに非常に力強さを感じました。今後も世の中の潮流に問題意識をもって、議論を重ねていってほしいと思います。
非常に考えさせられ、楽しく面白い審査会でした。優秀賞の「chimney Condo」はアイデアに留まらず、ずしっとくる訴えかけの強さがありました。個人的には「環境はろ過され、歓響になる」がよいと思いました。「呼吸する」というテーマに対して美しく楽しげに環境を変えているよい提案でしたが、「chimney Condo」のように強く訴えかけるものがあればもっとよかったと思います。「呼吸する」ということを考えた時に、そこに生命現象のような新しい秩序が生まれているか、を見極めたいと考えながら審査しました。「大地の息づかい ─さあ、ニュータウンへ帰ろう─」はそこに本当に到達できているかは分かりませんでしたが、街が姿を変えながら生き続けるための新しい建築的思考の可能性を感じました。
楽しい審査会でした。「大地の息づかい ─さあ、ニュータウンへ帰ろう─」は新しいクリエイティブのあり方を提示できれば、もっとよかったのではないかと思います。ただこの案がもつ可能性については高く評価したい。1次審査では、全員が強く推すというものがありませんでしたので、今日審査をするまでまったく結果は予想できませんでした。コンペを主催してよかったと思うのは、皆さんの作品を前にして審査委員の諸先生方に指導していただき、色んな意見をぶつけ合える場所ができ上がっていることだと思います。そこから、次のステップに進めるのではないかと思います。今後も多くの方々に参加していただき、この場を活かしていってもらいたいと思います。
第9回から設けられた「大和ハウス工業賞」を授与するにあたり、大和ハウス工業設計部の6名で審査を致しました。最優秀、優秀の基準を含め非常に甲乙つけがたく論点が難しい審査であったと思います。そこで私たちは普段実務に携わっている集団ですので、今回はより「リアリティ」があるかどうかという点をひとつの審査基準とさせていただきました。その中で賞として選んだのは「わたしの隙間を囲って」です。月島の木造密集地という問題に対しての答え方として、今後その地域すべての住宅に隙間を設けるようにリノベーションをしていくことによって新しい住環境ができるという提案が非常にエネルギッシュであり、これからの住環境のあり方を考えさせてくれた点が受賞の理由です。
高度経済成長期に都市郊外の各地で大地が切り開かれ、もとは森や林だった場所が大量の住宅で埋め尽くされた。同時に地面は住居とアスファルトによって蓋をされ、人と大地の交わりも断たれてしまった。また敷地境界で自然の流れと人の繋がりを断ち切る敷地主義の郊外住宅地は、現代の多様なライフスタイルに対応する冗長性をもち合わせていない。その住宅ストックは受容に見合わず過剰になっている。居住者の高齢化も進み、空き家も現れ始めた窒息寸前の郊外住宅地を、人びとの住まい方から大きく転換する必要がある。そこで、過剰に余った住宅を解体する。居住に必要な最小限の機能を残し、地面に接する一階部分は壁を取り除くことで、外部空間として大地に解放する。また、居住人口に合わせて必要のない住宅は撤去する。その後、居住者には区切られた敷地ではなく、床面積を基準とした居住スペースが確保される。大地の上を人びとが行き交う、そんな生きた大地の風景をつくるのが私たちの提案である。(プレゼンテーションより抜粋)
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技術の発達によって、ゴミ処理場が不要となる時代が来るであろう。その際、不必要になった煙突をコンバージョンし、再度命を吹き込み、煙突の形状を利用した住まいを提案する。その煙突を見上げる人にとっては、環境を意識させるランドマークとして輝き、またその煙突は、呼吸をするように周囲に動きをもたらす。それは風の力を利用して発電し、都市に電力を供給する。さらに、快適な周辺環境をつくるために風力を生み出す壁をもち、クリーンな風の力を借りて建物内外の環境を整えることで、CO2削減の手助けもする。生物が呼吸をするように、都市と人に快適な環境と街へのエネルギー供給システムをもった煙突型集合住宅の提案。(プレゼンテーションより抜粋)
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現代の人の生活や建物は内に閉じており、他の場所との関係性が稀薄である。また、一般的な住宅平均寿命は約30年と短く、長く残る住宅は少数であり、変化、もしくは変化していないことを認知するのは難しいように感じる。つまり現代は、建築の時が止まっている、呼吸していない状態といえるのではないか。そこで、生活雑貨から建築、街区までの「生活の更新速度の在り方」に変化を与えることで、変化を許容し現代の価値観を受け入れる場所を提案する。大地から建築を浮かし高さ方向の変化によって周辺環境との距離感を調節し、また、壁面を建具化することで、住宅を住人の手で扱える能動的なものとする。そこで、それぞれの更新速度の範囲をかみ合わせることで1対1ではない多元的な関係性をつくり出す。(プレゼンテーションより抜粋)
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「呼吸する家」とは立面という建築の表皮を通して、生活の息吹を吐き出し、周囲とのさまざまな関係性を取り込んでいく建築だと感じた。しかし、老朽化した木造密集地帯における住宅は狭小な共有の隙間に対して設けられる立面が硬く閉ざされ、人びとの居場所とはかけ離れた呼吸しない存在となってしまっている。そういった共有の隙間に対して無関係なモノに挟まれるのではなく、さまざまな関係性によって囲まれるような「わたしの隙間」をもつ家を提案する。隙間が自分の所有物として都市に在ることによって、生活に付随したさまざまな豊かさをもった関係性が都市に張り巡らされた隙間のネットワークを介して街中に広がっていった時、その街固有の息づかいが聞こえてくる。(プレゼンテーションより抜粋)
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「呼吸する」とは「環境をろ過する」と言い換えることができるのではないか。建築が自然のサイクルに組み込まれる、それが「呼吸をする」ということだと考え、私たちはそれを実現するために屋根に着目した。敷地はイタリア南部の街・マナローラ。自然に恵まれ人が集まるこの場所に今回は提案する。地形の上にろ過機能をもつ屋根を架け、雨水をろ過する屋根の下にはお風呂が配置されるなどろ過と対応した空間が形成される。これらの空間を周辺と連続させていく。環境という普遍的なものの中で、硬いものである建築の性質と闘いながら、完全に閉じるのではなく、テントのように住むのでもなく適度に開いている状態として「ろ過」された空間を考えた。(プレゼンテーションより抜粋)
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人が呼吸する対象がさまざまな物質が流れている空気であるならば、建築は多様なもので溢れかえる「みち」ではないだろうか。人や動物、風や光、音や視線...そんな「みち」を家が上手く吸い込むことができるなら、常に多様な因子で溢れかえり、普段の生活より豊かになるのではないか。「みち」を吸い込み、「みち」に寄り添う家、あたかも「みち」の上に建っているような家を提案する。街の生活インフラの延長としての「みち」を家の中に引き込み、屋根壁により「みち」の領域を家の内部まで拡張させる。さまざまな抜けを介して取り込まれる光や風や雨、街のようにさまざまな世代間の交流や活動は、「みち」からそのまま住戸内部へ浸透し、循環していく。(プレゼンテーションより抜粋)
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「垂塀…まちとの呼吸」…まちには2種類の他者がいる。ひとつは通りすがりの人、積極的に関係をもつ必要のない「他人」。もうひとつはご近所さんなどの積極的に関係性をもつべき「他者」。垂塀は立位の状態で視線を遮り、座位の状態で視線を通す。「腰壁…外部との呼吸」…庭との境界はガラス戸で、そこからセットバックさせて腰壁を設ける。腰壁の手前は庭と繋がる大きな縁側のような空間となり、奥は上のみが庭と繋がるプライベートな空間となる。「垂壁…家族間での呼吸」…垂壁に囲まれた空間が個の空間となる。椅子やベッドの上では閉じた空間としてひとりの時間を過ごせ、床に座れば周りの共有空間と繋がる。「腰窓…お隣さんとの呼吸」…隣の家との境界の開口部をセットバックさせ坪庭をつくり、腰窓をあける。家の中からは坪庭だけが目に入り、窓際に座ればお隣さんとのコミュニケーションが取れる。(応募案より抜粋)
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