ダイワハウスコンペティション告知ページ
堀部 安嗣
本当に楽しく、充実した審査会でした。小嶋先生ならどの案を残したか、どの案を推したのだろうかと考えながらする審査もとても楽しかったです。小嶋先生からの提案であるテーマ「都市の快楽」も、あまり複雑なことを考えずに建築の純粋な楽しさを能動的に追求できるようなテーマで、だからこそよいアイデアが出てくるきっかけになったのではないかと思います。最優秀賞の「The hybrid of refuge and prospect」は突き抜けた提案で、1次審査の時から最終審査まで自分の中ではダントツで素晴らしい案でした。これからも建築の楽しさを追求していってほしいと思います。
平田 晃久
粒ぞろいの素晴らしい作品ばかりで、これまで経験した審査会の中でもいちばん密度のある審査会になったと思います。同時にテーマを出題された小嶋先生の意志をどこまで汲み取れているか、すごく考えさせられた審査会でもありました。最優秀の「The hybrid of refuge and prospect」はもちろん、優秀賞の「まちのリビング ─小さな都市/大きな家に住むという快楽─」も「傘の中はつながる」も素晴らしい案でしたが、佳作の作品でも印象に残った作品がたくさんありました。「都市の快楽」というテーマは取り組みやすいテーマではあったかと思いますが、私たちもこの先考えなければならない重要なテーマに感じました。
南川 陽信
楽しい審査会でした。小嶋先生がいらっしゃらない状態で議論ができるのか、というプレッシャーの中での審査会でしたが、「楽しいのがいちばん」という小嶋先生の言葉を思い出しながらの審査はとても充実したものでした。最優秀賞の「The hybrid of refuge and prospect」は素晴らしい提案でしたが、個人的には街への広がりなど今後の展開もセットで提案されていたらなおよかったのではないかと思いました。1次審査の時点で素晴らしい作品ばかりだと感じていましたが、プレゼンで作品に込められた想いまで聞けて、作品への理解も深まり、とても実のある審査会になりました。
塩見 純一
第9回から設けられた「大和ハウス工業賞」を授与するにあたり、大和ハウス工業設計部の6名で審査を致しました。どの作品も素晴らしく、紛糾した議論になり結論を導き出すのが難しい審査でした。結果として賞として選んだのは最優秀賞である「The hybrid of refuge andprospect」です。デザインサーヴェイに基づいた緻密な提案、既存の銭湯の上に食堂つきの住宅を設計するという楽しげな空間の提案、公と私をきっぱりと分けない独特の感覚、小安浜地区の漁村集落という場所性への正確な理解など多くの点で評価できる提案でした。その他の優秀賞、入選作品、佳作も素晴らしい作品ばかりで非常に楽しい審査会になったと思います。
審査員を囲んでの集合写真
プレゼンに挑む入選者
プレゼンに挑む入選者
模型を駆使した白熱のプレゼン
会場に持ち込れた緻密な模型
コンペティション開会と会場の様子
ひとつひとつの作品を講評する審査員
審査員からも笑みがこぼれます
参加した大和ハウス工業審査員
入選・佳作の各作品は当社で展示
緊張の表彰式
最優秀賞受賞の伊達一穂さん
参加者を囲んでの懇親会
懇親会中も議論に花が咲きます
審査員とこんな一面も
皆様、ご参加ありがとうございました
伊達 一穂(東京藝術大学大学院)
地理学者のジェイ・アプルトンは動物行動心理学に基づき「眺望─隠れ場理論」という仮説を提唱した。観察者が見ることを妨げられない場合を「眺望」、観察者が隠れることができる場合を「隠れ場」と呼び、姿を見せずに相手を見る、という欲望が、人間が風景を美しいと感じる大きな所以だと論じた。「眺望─隠れ場理論」の観点から現代の都市を見つめ直してみると、床面積とセキュリティの確保といった個人の「隠れ場」と、海への「眺望」を確保するため、町は必然的に高層マンションで埋め尽くされている。果たしてそのような環境は人間が都市に住まうことの快楽を感じられるような空間であるのだろうか。つまり、「眺望」と「隠れ場」が呼応しない環境ではなく、ふたつの組合せのバリエーションが都市に住むことをより豊かにするのではないか。敷地は再開発が進む神奈川県横浜市神奈川区子安地区。洗濯物や植木鉢といった小さなスケールから住宅や地形といった大きなスケールまでが混在し、複合的な空間がつくり出されている子安浜の漁村集落の中にこそ「眺望」と「隠れ場」のハイブリッドが存在するのではないかと考えた。そこで、子安浜地区に昔から残る小さな銭湯の建物に沿って螺旋状に食堂を併設した住宅の増築する。それらは街全体に散らばる風景と連動して、自分たちだけの新たな環境をつくり出す。「眺望」と「隠れ場」が身体スケールで呼応し、都市全体が人間の本能的な快楽を与えるような居住空間の提案。
(プレゼンテーションより抜粋)
作品詳細、講評はこちら
内田 遥(東京大学大学院)
熊谷 雄(東京大学大学院)
島田 潤(竹中工務店)
家のような居心地のよい空間を都市の多様性で満たす。これが都市に住む人の欲望を満たす空間だと考えた。家のような居心地のよさ、都市の多様性、両者の空間性を満たすために「まちのリビング」を提案する。「まちのリビング」は衰退する商店街上部に人が住むことで、アーケード空間を公共福祉機能をもったオープンコモンスペースに転化していく計画。1階はオープンコモン、3階より上は改築を行い、個室の入る集合住宅にする。そして、2階を住民のみが利用できるクローズドコモンである「いえのリビング」とする。このようにして、「まちのリビング」と「いえのリビング」のふたつの施設がアーケードの下につくられ、ふたつの空間がアーケードという空間に再び息を吹き込む。「まちのリビング」は商店街の住民、周辺の住民、行政が三位一体となって成立し、分断された都市と住宅の関係に刺激を与える提案。
(プレゼンテーションより抜粋)
作品詳細、講評はこちら
志甫 景(東京藝術大学大学院)
公園の緑が雨粒に濡れて青々しく見えることに生命力を感じたり、気になる女性が髪を結う姿に惚れ直したり、土や雨の匂いを感じ、雨音が生活音を消し、そして遠くの気配を感じさせてくれる。雨は日常をそんな感動に溢れる世界に変えてくれる。普段見えていなかったもの、身近なものに目を向けられるようになったとき、私たちの生活は快楽のある暮らしといえるのではないか。そんな雨による快楽の得られる傘のような住宅の提案。敷地は大通りに近いオフィスビルやマンション、駐車場によって大小さまざまなスケールの空間や通り道が存在する住宅街の一角。不透明加工が施された、雨によって透明度が変わるスキンの建築。いつ降るかわからない雨、雨が降ると傘は都市に繋がり快楽を促してくれる。再び訪れる快楽=雨がくることを待ち焦がれてしまう住宅の提案。
( プレゼンテーションより抜粋)
作品詳細、講評はこちら
樫村 圭亮(北海道大学大学院)
岩国 大貴(北海道大学大学院)
人間は都市の中で自己の領域をつくることに快楽を感じる。たとえば、通りに面したカフェで休憩する、公園で演奏する、外で読書するなど。一方、住宅街では人口の増加に合わせて住宅が敷地いっぱいにつくられたため、そうした都市の快楽を享受できない。自己の領域しか存在しない閉鎖的な場所となっている。そこで、住宅街の中で自己の領域を感じるための空間として、住宅街と地面を開放する住宅を提案する。人口減少社会という背景により自分の生活に合った住み方として自宅の庭を開放したり、場所をシェアする感覚が広がってライフスタイルが変化している。そのような背景の中で地面を開放する住宅がまちに増えると、人びとの快楽がまちに広がっていく。
( プレゼンテーションより抜粋)
作品詳細はこちら
川口 創史(スガタデザイン研究所)
山田 美紀(山田バナナデザイン事務所)
山田 文宏(大和ハウス工業)
今から51年前の2017年、東京のある街で保育園建設の反対運動が激しく起こった。反対運動は過激化し、2018年に東京都は特別区として"静かな街に暮らす快楽区 を設けた。静かな街づくりをコンセプトに、保育園の新規建設の永久的な禁止、既存の保育園の段階的廃園、騒音規制の強化などを条例として定めた。境界線や道路から建物を離して窓は小さく道路側に視線が通らない位置に、庭に境界線から離して塀を立て、鳥の鳴き声がうるさいからすべての木を切り落とす。壁厚は最低50cm、二重サッシ、遮音カーテンの設置など周囲からの規制で建物の形は決まっていく。その結果、生み出される風景は何かに似ている。
トマス・モアの『ユートピア』以来、数々のユートピアあるいはディストピアが描かれてきた。現在のシェアハウスに見られるような共有の概念は500年前のユートピアの世界観と同じであるように、物語を考えることは現実と地続きであるのではないか。
(プレゼンテーションより抜粋)
作品詳細はこちら
野嶋 淳平(九州大学大学院)
川合 豊(千葉工業大学大学院)
多くの要素が集まり、多様な経験を得ることができる環境をもつ都市という空間は、生まれた地を離れ、多様な背景をもつ人達が集まる場でもある。都市環境を求め、地方から上京した「わたし」という存在は都市に身を置くことで「これまでのわたし」から「これからのわたし」をつくっていく。都市に住む快楽とは、都市に住み、環境の中で成長を実感するわたしを探す喜びだと考えた。わたしを探す場所として商店街を設定する。商店街は地域コミュニティの中心として発展した商業形態。しかし、生活形態の変化により空き店舗やシャッター通りに変化しており、多くの商店街が閑散としている。そこで、商業形態としての商店街から居住形態としての住居街として変化させ、新たな価値を見出すことを提案する。わたしと都市を繋ぐ快楽のかたちとして街へとわたしを広げ、多くの人と都市に住む快楽を実現させていく。
(プレゼンテーションより抜粋)
作品詳細はこちら
瀬口 果奈(大阪工業大学)
安岡 里紗(大阪工業大学)
われわれが快楽を求めるのはいかなるときか。それは日々の生活でたまった苦しみから解放されたい時。ではどういった方法で快楽を得るかというと、それらは専ら買い物や旅行などで非日常を感じ取ることで得ようとされることが多い。非日常の快楽は一時的なものでしかない。都市に住む快楽を感じるには、苦を受け入れ、日常こそが快楽と認識することだ。楽と苦は相容れないが互いに近くに存在し、必要不可欠である。快楽を感じるにはまず苦を味わうことが必要になる。快楽を感じるための助けとなる、修行宿泊施設。非日常ではなく日常、一時的ではなく継続敵。それが快楽。(応募案より抜粋)
作品詳細はこちら
田口 周弥(日本大学)
橋本 涼平(日本大学)
快楽とはヒトが感じるものである。ヒトとヒトが繋がり、感情を動かされたり、喜怒哀楽を共有することで生まれる快楽。また、ときとして懐かしさや思い出となり、よみがえる記憶から生まれる快楽。ここは都市に住んでいるにもかかわらず、人工物ではなくヒトとヒトによって賑わい、ヒトと生活を共にし、自然の移ろいや静けさを感じ、穏やかな時の流れる場所である。愛着を感じる場となり、いつしか懐かしさを感じるだろう。ヒトとヒトとの繋がりや穏やかな環境がヒトの感情を育み、そしていつしか思い出へと変わる今をつくり出す。(応募案より抜粋)
作品詳細はこちら
服部 義行(東京大学大学院)
ここは大阪府北部に位置する、一見よくある郊外住宅エリアである。彼は、そんなエリアの中で、住宅開発前から細々と続く農家に生まれた。彼は、彼と彼をとりまく世界の "きょりをはかり、彼自身の世界の地図をつくっていくことに快楽を覚える。それは、誰もが子供のころにもっていた、自分の世界が広がっていく探検のわくわく感を思い起こさせる。またそれは同時に、古来から人間が生き延びるために自分の領域を増やす活動をしてきたことを示唆している。きょりを計る物差しは、煙突のある彼の"うちと農作業でつかうバスタブである。彼はときおり、バスタブをひきつれて出かけ、いろいろな場所にバスタブと"うちとの距離をはかる。そしてまた"うちに帰っていく。誰にとってもそうであるように、彼にとって彼の"うちは、都市に住み社会の中に生きる自分の精神的なよりどころである。 (応募案より抜粋)
作品詳細はこちら
吉井 大貴(名古屋大学大学院)
鈴木 翔大(名古屋大学大学院)
小野 竜也(名古屋大学大学院)
古田 大介(名古屋大学大学院)
斉藤 孝治(名古屋大学大学院)
はたして僕たちは、本当に「都市に住んでいる」といえるのだろうか。都会にありふれたマンションは独立した個室の集積で人との繋がりがなくて寂しい。しかしシェアハウスの「繋がらなくてはならない」強迫的なコミュニティは僕たちには億劫だ。だから僕たちは都市やネットにコミュニティをつくり、「人が集まって暮らす快楽」を家の外に求めてきた。今の住宅と都市の境界線から「住む」の領域を広げてみる。外にあった都市の快楽を内包した住宅は他者の存在を許容し、「繋がり」に選択の余地を与えてくれる。(応募案より抜粋)
作品詳細はこちら
藤原 麻実(早稲田大学大学院)
鈴木 栄三郎(早稲田大学大学院)
前川 朋子(早稲田大学大学院)
普段建物の中で生活する私たちは、たとえ日常的に100mの高さで過ごしていても、東京という都市のもつ「高さ」を実感することはできない。しかし、屋上に立ってみると、そこに水深100mの深い溝があることに気づくかもしれない。地面から見上げるだけでは感じられない、都市の「深さ」を実感することのできる装置を提案する。ビルの裏側の面を繋ぐように、布をレイヤー状に重ねていくことで水面が現れる。このビルの人びとが背中合わせだった空間にダイブしていくことで、この場所は、ダイバーたちを繋げる「海」となる。 (応募案より抜粋)
作品詳細はこちら