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コラム No.20-8

PREコラム

「官民連携による地域活性化への取組を探る」(8)伝統工芸品のブランド化による地域再生プラン ~山中漆器の挑戦~

公開日:2017/07/20

前回は、伝統工芸品の生産状況や取り巻く環境について概観しました。地域の名を冠した伝統的な技術を伝承するために、国や地方自治体、地域の人々が、職人の育成や販売促進に取り組んでいるところですが、若い後継者の中には、伝統工芸品の新たな魅力を開発し、日本はもとより世界に向けて、ダイナミックに提案型ビジネスを推進している挑戦者もいます。
今回は、伝統工芸を守りながら、現代生活にも溶け込む作品の制作に挑戦している、山中漆器の事例を紹介します。

地域に根づいた伝統工芸には生き続ける理由がある

舞台は石川県加賀市の加賀温泉郷。2035年には北陸新幹線の延伸が予定されている地域でもあります。その加賀温泉郷の一つ、山中温泉は1300年の歴史を誇り、蓮如や松尾芭蕉など多くの著名人が滞在した景勝地です。この山中温泉地域に残る伝統工芸品が山中漆器です。山中漆器の歴史は、安土桃山時代に、越前の国から山中温泉の上流にある「真砂」という集落に木地師集団が移住したことに始まると言われ、その特徴は、轆轤挽物(ろくろひきもの)木地にあります。轆轤挽物木地とは、轆轤を回しながら専用の刃物(カンナ)で器の形に造形していく技法です。また材料としては、欅や栃などを輪切りにして年輪を生かす「竪木取(たてきどり)」木材を使用することで、歩留まりが悪いながら「横木取」と違って強度が高いというメリットが得られます。それにより、作品を薄く精巧に仕上げることができ、背の高い花瓶のような器の制作も可能で、木目も美しく仕上げることができます。さらに、硬い材質を活かし、加飾挽き(かしょくびき)といって、器の表面に円状や渦上の模様を刻んで装飾する技法も山中漆器の特技です。また、もう一つの特徴は、「拭漆(ふきうるし)」です。美しい木目を生かす漆塗の手法として、漆を塗っては拭き取る作業を繰り返して仕上げる技法です。
このような伝統技術は、人間国宝である川北良造氏をはじめ、多くの木地師によって引き継がれ、国内有数の挽物木地の生産地として、現在も30か所程の事業所で制作が続けられ、ています。
しかし、400年以上続いた山中漆器も、現在ではプラスチックやPET樹脂にウレタン塗装を施した新素材による近代漆器が主流を占めつつあり、伝統的な漆器の生産は減少傾向にあります。

地域の伝統工芸を見てきた若き後継者の新たなチャレンジ

山中漆器の制作所が集積する山中漆器団地の一角に、株式会社我戸(がと)幹男商店はあります。1908年(明治41年)に我戸木工所として創業、二代目の幹男氏が現在の会社を起業しました。その後、三代目の彰夫氏の代に、現社長の叔父にあたる宣夫氏とともに「彰宣」ブランドとして数々の商品を開発、バブル経済期の追い風もあって、売上も順調に伸びました。
しかし、現社長である我戸正幸氏が、東京で漆器の流通や小売店の状況を学んで帰郷し、入社した2004年頃は、バブル経済が崩壊し、海外、特に中国や東南アジアから安価な雑貨類が押し寄せてきた時期でした。この頃のことを正幸氏は、「百貨店の売上も低迷し漆器類の売り場は次々と無くなっていきました。そして専門店セレクトショップが新たに誕生しましたが、そこには伝統的な漆器の居場所はありませんでした」と語っています。日本人の生活指向が大きく変わった頃だったのでしょう。一般家庭から国産木製の汁椀が減少し安価な輸入品やプラスチック製に置き換わっていった、そんな時代でした。
そんな中でも、多くの職人を見てきた正幸氏は、山中漆器が育んできた伝統的な技術を何とかして継承し守っていきたいと考える一方、現代の生活様式に合った作品作りにも意欲的に取り組みます。
最初のチャレンジは、木取り方法により変形が少なく薄く挽けるという山中漆器の特徴を生かした、木製カップやボール商品「うすびき」シリーズです。実は、この商品の一部には漆塗に換えてウレタン塗装を施してあります。本来、ウレタン塗装はプラスチック素材等の塗装に採用されていましたが、木地にも使用することで、プレーンな風合が生まれます。他地域にない木地加工技術をアピールしたこの商品は話題性を呼び、予想外に売れたそうです。
続けて、デザイナーとのコラボ商品で現代の感性を取り込む試みを始めました。例えば、芭蕉の俳句理念「軽み」を形にした茶筒「かるみ」、弱げな様を表した「あえか」、木地づくりの精度を表現した「つらり」、大人かわいい白を基調とした「しらん」、そっと空間になじむような「ことん」、しなやかさを表現した「しなふ」など、デザイナーズ商品のライナップを拡げています。
また、欧州で販売が好調な南部鉄瓶と調和した商品として、黒い漆塗にウレタン加工を施した茶筒は、国内外で好評を得、2010年には日本でグッドデザイン賞中小企業庁長官賞を、2012年にはドイツ連邦デザイン賞で銀賞を受賞しています。日本では、前述の「かるみ」シリーズで販売されており、現在でも生産が追い付かないほどのヒット商品となっているそうです。
さらにご興味のある方は、我戸幹男商店のホームページ(http://www.gatomikio.jp/)をご覧になってみてください。

写真左:自然な木目が柔らかな表情をみせる 写真右:ヒット商品となった茶筒「かるみ」

四代目ベンチャー経営者のコラボ戦略が意味するところ

「ベンチャー」という言葉を「冒険する=成否が確かでないことをやってみる」だとすると、山中漆器の後継者である正幸氏は、正にベンチャーではないでしょうか。ただし、新しい技術を開発するのではなく、伝統的なものづくり技術で現代のニーズに応え、山中漆器の工芸技術の可能性を追求しているベンチャーということでしょう。その手法が、多様な異能とのコラボ戦略です。元来、伝統工芸品は手工業生産品ですので、大量生産には不向きな商品です。逆に言うと、少量多品種への対応が可能です。ここに、デザイナーと生産者がお互いにコラボする強みがあります。自分の独創的なデザイン作品を実現したいと考えるデザイナーの要望に、少量であっても高い技術で応えることができるのです。一般的な機械工業製品では、そう簡単ではありません。「生産ロット○○でおいくら」といった経済性重視のハードルがあります。そのように考えると、このコラボ戦略は、ものづくりベンチャーの原点であるかもしれません。「売れるものを作る」ではなく、「新しい感性や技術を作品で提案する」というチャレンジ精神があります。
漆器の生産量全国一を誇る山中漆器ですが、伝統技術で生産したお椀やお盆などの日用品マーケットは、今後とも拡大することは難しいかもしれませんが、そのような状況でも、地域とともに発展して来た技術の伝承や、後継者の育成は、地域振興には欠かせない施策であると思います。片や、伝統工芸品は、時代とともに人々の趣向に合わせて技術を鍛錬してきたことも事実ではないでしょうか。
我戸幹男商店は、時代の転換期にあって、新しい伝統工芸品のあり方を模索しているように思えます。

伝統工芸品の歴史を見てみると、職人が自然発生的に、あるいはその時代の政策によって、商品の原材料を求めて特定地域に移住、定住し、加工技術の集積が起こり、技術が高度化していったと思われます。また、職人の集落が形成されると、様々な商業需要が生まれ、地域の開発が進み、人の往来が増えることで、伝統工芸品が全国に伝播し、それがさらに、地域への人々の流入を生んでいったのでしょう。伝統工芸品の発祥地が地域の観光地と重なることが多いのは、このような背景があるのだと思います。
これまで、歴史的な地域発展のシンボルとしての伝統工芸を守るために、職人のための研修所や展示会など、さまざまな振興策が講じられています。そこにさらに踏み込んで、ものづくりに卓越した集団として、他の伝統工芸品産地や、異分野のアイデア人材などとのコラボを積極的に推進し、新しい作品や商品を生み育てることも有効ではないでしょうか。今後100年の伝統工芸品再興に向けた原動力となるのが、伝統工芸と現代の生活様式に囲まれて生まれ育ち、産地を継承する役割を担っている、若手後継者たちだと思います。

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